ロバート・シャーリー (1673-1699)

ロバート・シャーリー閣下(英語: Hon. Robert Shirley FRS1673年9月4日1699年2月25日)は、イングランド王国の政治家。

生涯編集

第7代準男爵サー・ロバート・シャーリー英語版(1677年より第14代チャートリーのフェラーズ男爵)とエリザベス・ワシントン(Elizabeth Washington、1655年頃 – 1693年10月2日、ローレンス・ワシントンの娘)の長男として、1673年9月4日にストーントン・ハロルド英語版で生まれ、18日に洗礼を受けた[1]カンタベリー大主教ギルバート・シェルドン英語版が名親を務めた[2]。幼年期にキャサリン・ヴェナブルス(Catherine Venables、1672年10月23日 – 1680年7月23日、ピーター・ヴェナブルスの娘)と婚約したが、キャサリンが1680年に早世したため立ち消えとなっている[2]

1688年9月27日にアン・フェラーズ(Anne Ferrers、1698年3月没、サー・ハンフリー・フェラーズの娘[3])と結婚、3男1女をもうけた[2]

1698年6月にシャーリー家のアイルランドにおける領地を訪れた後に帰国[2]1698年イングランド総選挙スタッフォードシャー選挙区英語版から出馬した[7]。しかし、慣例を破って議会解散の前から選挙活動をはじめたことを対立候補のエドワード・バゴット英語版に利用されたため、有権者に悪い印象を与えることになり、父が貴族院で対立している初代ニューカッスル公爵ジョン・ホールズ初代シュルーズベリー公爵チャールズ・タルボットからの支持を確保したにもかかわらず落選した[7]

1699年1月11日に王立協会フェローに選出されたが[8]、僅か1か月後の2月25日に天然痘によりロンドンで死去、ストーントン・ハロルドで埋葬された[2]

出典編集

  1. ^ "Ferrers, Earl (GB, 1711)". Cracroft's Peerage (英語). 29 June 2019. 2020年10月29日閲覧
  2. ^ a b c d e Shirley, Evelyn Philip (1873). Stemmata Shirleiana (英語) (2nd ed.). Westminster: Nichols and Sons. pp. 174–176.
  3. ^ Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, Herbert Arthur, eds. (1926). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Eardley of Spalding to Goojerat) (英語). 5 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. p. 332.
  4. ^ a b Shirley, Evelyn Philip (1873). Stemmata Shirleiana (英語) (2nd ed.). Westminster: Nichols and Sons. pp. 180–181.
  5. ^ a b Shirley, Evelyn Philip (1873). Stemmata Shirleiana (英語) (2nd ed.). Westminster: Nichols and Sons. p. 178.
  6. ^ Foster, Joseph, ed. (1891). Greenhill-Gysby. Alumni Oxonienses 1500-1714 (英語). Oxford: University of Oxford. pp. 1350–1368.
  7. ^ a b Handley, Stuart (2002). "Staffordshire". In Hayton, David; Cruickshanks, Eveline; Handley, Stuart (eds.). The House of Commons 1690-1715 (英語). The History of Parliament Trust. 2020年10月29日閲覧
  8. ^ "Shirley; Robert (1673 - 1699)". Record (英語). The Royal Society. 2020年10月29日閲覧