ロプコヴィッツ家
ロプコヴィッツ家(チェコ語:Lobkovicové もしくはLobkowicz、ドイツ語:Lobkowitz)は、チェコおよびオーストリアの貴族の家系。
14世紀まで遡れる最も古いボヘミア貴族の一つ[1]。祖先は裕福でない大地主 Martin z Újezda (1397年没)、彼の子であり初代となるMikuláš Chudý z Újezdaは、プラハ・カレル大学哲学学部を卒業後、省庁に務めクトナー・ホラの筆記官として活躍し、神聖ローマ皇帝チェコ王ヴェンツェルの影響下でロブコヴィツェ村(Lobkovice)を拝領、1417年ボヘミア王国の筆頭筆記官となる。フス戦争では王の命により、反抗した貴族たちの城を占領し、ハッセンシュタイン城(Hasištejn Castle)を拝領した。
人物
編集- ヴェンツェル・オイゼビウス・フォン・ロプコヴィッツ(1609年 - 1677年)
- フェルディナント・アウグスト・フォン・ロプコヴィッツ(1655年 - 1715年) - ヴェンツェル・オイゼビウスの息子。
- ヨハン・ゲオルク・クリスティアン・フォン・ロプコヴィッツ(1686年 - 1755年) - フェルディナント・アウグストの息子。
- フランツ・ヨーゼフ・マクシミリアン・フォン・ロプコヴィッツ(1772年 - 1816年)
- ゲオルク・クリスティアン・フランツ・フォン・ロプコヴィッツ(1835年 - 1908年)
- ボフスラフ・ハシシュテインスキー=ロプコヴィツ(1460年/1461年 - 1510年)
脚注
編集- ^ “Lobkowicz family history”. www.lobkowicz.com. 6 January 2017閲覧。