ンガ・プル(Ngga Pulu)は、ニューギニア島スディルマン山脈の西方にある、オセアニアの最高峰であるプンチャック・ジャヤ(カルステンツ・ピラミッド)(4884m)の付属峰である。プンチャック・ジャヤ主峰の北にある。

ンガ・プル
Ngga Pulu
東ノースウォール・フィルン英語版(万年雪)に覆われたスマントリ(中央の尖つた峰)とンガ・プル(右の平らな峰)
最高地点
標高4,862 m (15,951 ft)
プロミネンス100 m (330 ft) [1]
座標南緯4度3分59秒 東経137度11分16秒 / 南緯4.06639度 東経137.18778度 / -4.06639; 137.18778座標: 南緯4度3分59秒 東経137度11分16秒 / 南緯4.06639度 東経137.18778度 / -4.06639; 137.18778
地形
所属山脈スディルマン山脈
登山
初登頂1936年12月5日 アントン・コレイン英語版ジャン=ジャック・ドージィフリッツ・ウィッスルオランダ語版
最容易
ルート
rock/snow/ice climb
プロジェクト 山

概要

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1936年時点のンガ・プルの標高は約4907mで、ニューギニア島、メラネシアオーストララシア、オセアニアの最高峰であり、ヒマラヤ山脈アンデス山脈の間では最も標高・プロミネンスの高い山であった。日本がニューギニア島西部を占領した1942年から1944年までは日本最高峰であったとも言えるが、山頂の氷河融解が進行し、その分標高が低くなった。現在の標高は4862mである。

名称

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ンガ・プルは、カルステンツ山塊の中で唯一土着の名前を持つ山である[2]。日本占領下でも新高山(台湾の玉山)のように日本名が付けられることはなかった。

1973年まで、現在のスマントリと現在のンガ・プルがそれぞれンガ・プルの北西峰・南東峰と呼ばれていた。ハインリヒ・ハラーは、1962年に描かれた地図上で北西峰(現在のスマントリ)をンガ・プル(Ngapalu)とし、南東峰(現在のンガ・プル)をサンデー峰(Sunday Peak)とした。1963年にインドネシアがオランダ領ニューギニアを支配下に置いてから、カルステンツ山はプンチャック・スカルノと改められ、1969年にプンチャック・ジャヤと改められたが、カルステンツ・ピラミッドが最高峰に変わったことが判明し、ンガ・プルはプンチャック・ジャヤの主峰ではなくなった。1973年、北西峰がスマントリに改称され、ンガ・プルは南東峰のみを指す呼称となった。

登山史

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1936年12月5日、オランダのアントン・コレイン英語版ジャン=ジャック・ドージィフリッツ・ウィッスルオランダ語版がカルステンツ探検の一環としてンガ・プル南東峰(現在のンガ・プル)に初登頂した[3]。彼らはノースウォール・フィルンを登った。第二登は1962年にハインリヒ・ハラーが、第三登は1964年(当時はスカルノ峰)に日本の京都大学とインドネシアの合同遠征隊が達成した[4]。ディック・イシャウッドは、1972年に高さ600mの北面に単独で初登頂した[5]

標高の減少と氷河

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1936年のカルステンツ探検隊は、気圧を元にンガ・プルの標高を5030mと推定した。1973年のオーストラリアの地形調査により、1936年の気圧に基づく推定値は本来の値よりも117-125m高かったことが立証され、これにより1936年の推定値は4907±10mとなった[6]。当時、カルステンツ・ピラミッドの方がンガ・プルの付属峰とみなされており、カルステンツ地域の山のプロミネンスの基準となるkey colが氷に覆われていたため、ンガ・プルのプロミネンスは約200mであった。

オーストラリアの1971-73年の科学探検で、ンガ・プルの標高は4862mと測定され、key colの氷が溶けたためプロミネンスは約300mとなった。

2000年までに、カルステンツ地域以外のニューギニア島の氷河は全て消滅した。カルステンツ地区の中でも、まだ氷に覆われているンガ・プルよりも、氷が溶けたスマントリの方が数メートル標高が高い。そのため、ンガ・プルのプロミネンスは100m未満となり、スマントリの付属峰となっている(スマントリのプロミネンスは350m)。

氷河の融解により、カルステンツ地域の山のプロミネンスの基準となるkey colの標高が低くなり、また、ニューギニア島のかつて山頂が氷で覆われていたマンダラ山カルステンツ東峰英語版ンガ・ピリムジット英語版などの標高が減少した可能性がある。科学者たちは氷河の融解を監視しており、2020年から2030年ごろまでにニューギニア島の氷河が全て消滅すると推定している。

脚注

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  1. ^ "Ngga Pulu, Indonesia" Peakbagger.com. Peakbagger currently gives a prominence of less than 100 m for this peak. Retrieved 2012-07-09.
  2. ^ 先住民は山塊全体を指して呼んでいた可能性が高い。
  3. ^ Jean Jacques Dozy (2002) Vom höchsten Gipfel bis in die tiefste Grube. Entdeckung und Erschliessung der Gold - und Kupfererz - Lagerstätten von Irian Jaya, Indonesien Archived 2012-04-02 at the Wayback Machine., Bull. angew. Geol. 7, pp 67-80.
  4. ^ [1]
  5. ^ R.J. Isherwood, The Dugundugoo, The Alpine Journal 1973, pp 188–194.
  6. ^ Edward G. Anderson, Topographic Survey and Cartography in The Equatorial Glaciers of New Guinea, A.A. Balkema, Rotterdam, 1976

外部リンク

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