ヴァルガ・ラースローVarga László, 1924年12月13日 - 2014年12月11日)は、ハンガリー出身のチェロ奏者[1]

ブダペストの生まれ。

地元のリスト音楽院アドルフ・シッファーにチェロ、ヴェイネル・レオーに室内楽を学んだ。 第二次世界大戦中はナチス・ドイツにより強制労働を強いられ、戦後に渡米し、1946年にレナー四重奏団のチェロ奏者となった。 1948年に四重奏団が解散してからはニューヨーク・フィルハーモニック交響楽団の首席奏者を務め、自らチェロ・アンサンブルを組織し、多くの曲をチェロ・アンサンブル用に編曲した。1963年からカナディアン四重奏団のチェロ奏者やボロディン・トリオのチェロ奏者を務める傍らでソリストとしても活躍した。

一方でカリフォルニア大学サンタクルーズ校ヒューストン大学などで教鞭をとり、大学のオーケストラ指揮する等していた[2]

フロリダ州サラソータの自宅にて死去[3]

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  1. ^ [1]
  2. ^ [2]
  3. ^ “Obituary: Cellist Laszlo Varga escaped a Nazi work camp”. Macro insider. (2014年12月11日). オリジナルの2015年1月12日時点におけるアーカイブ。. http://www.peeep.us/3f6fc600 2015年1月12日閲覧。