ヴィクトール・ブニャコフスキー
ロシアの数学者
ヴィクトール・ヤコヴレヴィッチ・ブニャコフスキー(露: Ви́ктор Я́ковлевич Буняко́вский、ラテン転写: Victor Yakovlevich Bunyakovsky、1804年12月16日(ユリウス暦12月4日) - 1889年12月12日(ユリウス暦11月30日))は、ウクライナ出身のロシアの数学者。ペテルブルク科学アカデミー会員で、後に副会長も務めた。
ヴィクトール・ヤコヴレヴィッチ・ブニャコフスキー | |
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1888年撮影 | |
生誕 |
1804年12月16日(ユリウス暦12月4日) ロシア帝国 バール |
死没 |
1889年12月12日(84歳没)(ユリウス暦11月30日) ロシア帝国 サンクトペテルブルク県 サンクトペテルブルク |
研究分野 | 数学 |
研究機関 | ロシア科学アカデミー |
博士課程 指導教員 | オーギュスタン=ルイ・コーシー |
主な業績 | 数論 |
プロジェクト:人物伝 |
理論数学、特に数論において業績を残した(例えばブニャコフスキー予想)。また有名なコーシー=シュワルツの不等式について、シュワルツによる研究より以前の1859年に、無限次元の場合についての証明を示していることが知られている。
参考文献
編集- Bounjakowsky W., «Mémoires de l’Académie des sciences de St-Pétersbourg. 7 série», 1859, t.1, No.9.