ヴィルヘルムスハーフェン
ドイツの都市
紋章 | 地図 |
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基本情報 | |
連邦州: | ニーダーザクセン州 |
郡: | 郡独立市 |
緯度経度: | 北緯 53度31分 東経 8度8分 |
標高: | 海抜 約 2 m |
面積: | 106.91 km² |
人口: |
76,247人(2023年12月31日現在) [1] |
人口密度: | 713 人/km² |
失業率: | 12.3% (2006年7月現在) |
郵便番号: | 26351 – 26389 (旧: 2940) |
市外局番: | 04421, 04423 |
ナンバープレート: | WHV |
自治体コード: | 03 4 05 000 |
市の構成: | 27 地区このうち一つは区議会を持つ自治区である |
市庁舎の住所: | Rathaus 26380 Wilhelmshaven |
ウェブサイト: | www.wilhelmshaven.de |
行政 | |
上級市長: | エーベルハルト・メンツェル (Eberhard Menzel) (SPD) |
ヴィルヘルムスハーフェン(独: Wilhelmshaven)はドイツ連邦共和国の都市。ニーダーザクセン州に属する。人口はおよそ8万5千人。
地勢・産業
編集北海に面しており、19世紀より軍港として栄えた港湾都市。近隣の都市として、30キロほど東にブレーマーハーフェン、50キロほど南にオルデンブルク、100キロほど南東にブレーメンなどがある。港のコンテナ取扱量は、ハンブルク、ブレーマーハーフェンに次いでドイツ第3位。
歴史
編集オルデンブルク大公国の領土だったが、1853年の条約に基づいてプロイセン王国が買収した。プロイセンはこの地に軍港を建設し、プロイセン海軍の重要な拠点とした。ヴィルヘルムスハーフェンという地名は、1871年に成立したドイツ帝国の初代皇帝、ヴィルヘルム1世にちなんだものである。
第一次世界大戦末期の1918年10月末、ヴィルヘルムスハーフェンにドイツ大洋艦隊が集結した。指導部は、敗北が決定的になったにもかかわらず、敗戦後の交渉を有利に導くためイギリス艦隊への出撃を命じた(いわゆる「提督たちの反乱」)。これに対し、水兵たちは出撃を拒否し不穏な状況となった。抗議行動を続けていた一部の艦隊の水兵はキール軍港へ上陸、11月3日に大規模な反乱を引き起こし、ドイツ革命へと至った。
1956年以来、この地には北大西洋条約機構(NATO)の海軍基地が置かれている。
年表 ヴィルヘルムスハーフェン(Wilhelmshaven)の発展 | ||||||
年 | ヴィルヘルムスハーフェン(Wilhelmshaven) | ヘッペン(Heppens) | ノイエンデ(Neuende) | バント(Bant) | ゼングヴァルデン(Sengwarden) | |
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1869 | ヴィルヘルムスハーフェンと命名 | ヘッペン | ノイエンデ | – | ゼングヴァルデン | |
1873 | ヴィルヘルムスハーフェンが市に昇格 | |||||
1879 | ヴィルヘルムスハーフェン | バント市が誕生 | ||||
1911 | 三地域が合併してリュストリンゲン(Rüstringen) | |||||
1937 | リュストリンゲン(Rüstringen)と合併 | |||||
1938 | クナイプハウゼン(Kniphausen)を併合して拡大 | |||||
1948 | ヴィルヘルムスハーフェン | フェッデルヴァルデン → ゼングヴァルデン | ||||
1972 | ゼングヴァルデンを併合して拡大 |
姉妹都市
編集出身有名人
編集詳細は「Category:ヴィルヘルムスハーフェン出身の人物」を参照
関連項目
編集- SVヴィルヘルムスハーフェン
- 新世紀エヴァンゲリオン 作中、ドイツで建造されたエヴァ弐号機は、ここから日本へ向け移送された