ヴェルナー・ボーイ
ヴェルナー・ボーイ(ドイツ語: [ˈvɛɹnɐ bɔɪ]、1879年5月4日 - 1914年9月8日)はドイツの数学者。ボーイ・サーフェス(ボーイ曲面)の発見者である。
Werner Boy | |
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生誕 |
1879年5月4日 ドイツ帝国・ライン県・バルメン |
死没 |
1914年9月6日 (35歳没) フランス・ヴィトリー=ル=フランソワ近郊 |
国籍 | ドイツ帝国 |
研究分野 | 数学者 |
出身校 | ゲオルク・アウグスト大学ゲッティンゲン |
博士課程 指導教員 | ダフィット・ヒルベルト |
主な業績 | 位相幾何学 |
プロジェクト:人物伝 |
1901年、博士課程の指導教官であったダフィット・ヒルベルトから、「2次元実射影空間[注 1] RP2 を3次元空間R3 へはめ込む[注 2]ことが不可能である、と証明できるか」という未解決問題を聞いた。ボーイは「実は可能で有る」と世界で初めて証明した。「そのはめ込み(のひとつ)として得られる図形」を、ボーイ・サーフェス(ボーイ曲面)と呼ぶ。
RP2 が 4次元空間に埋め込める[2]ことはボーイより前から周知であった(証明が簡単にできることも周知であった)。 3次元空間に埋め込めないこともボーイより前から周知であった(これも証明が簡単にできることも周知であった)。 3次元空間にはめ込めるかどうか、はボーイより前には未解決であった。
ボーイはボーイ・サーフェスが、ある軸のまわりの120度回転対称性をもつことも発見した。1978年になって、ベルナール・モランがコンピュータを使ってボーイ・サーフェスのパラメータ表現を発見した。
ヴェルナー・ボーイはクレーフェルトのフィヒテ・ギムナジウムに通った。1901年に学位論文を完成させ、1902年に国家試験に合格した後、1年間の兵役に就いた。その後、ボンの市立文法学校でセミナーを受け、ザンクト・ヨハン・ザールブリュッケンのプロイセン王立高等学校で試用期間を過ごした。1905年から1909年までクレーフェルトのオーバーリアルシューレで、その後生まれ故郷のバルメン(現在はヴッパタールの一部)のレアルギムナジウムで上級教師として働いた。
第一次世界大戦、最初の週、ヴィトリー=ル=フランソワ近郊で戦士として死す。
脚注
編集注釈
編集出典
編集参考文献
編集- Characteristic Classes: John Milnor and James D. Stasheff Annals of Mathematics Studies (Book 76)ISBN 978-0691081229 ボーイ・サーフェス、RP2、の厳密な説明が載っている。上級者向け。
- 異次元への扉―はさみと紙から始めてトポロジーの達人に 小笠 英志 日本評論社 ISBN 978-4535786080 ボーイ・サーフェス、RP2、についての初心者向けの説明が載っている。
関連項目
編集外部リンク
編集- Make your Boy surface - ボーイ・サーフェスをはさみと紙とセロテープで工作する動画が見られる。
- 設計図(日本語) - 上記の紙工作の設計図。
- 設計図(英語) - 上記の紙工作の設計図。
- ヴェルナー・ボーイ - Mathematics Genealogy Project
- Boy's original paper (in German)
- Papers and a movie about Boy's immersion