一井 保造(いちい やすぞう、1898年5月22日 - 1985年3月27日)は、日本実業家三井船舶社長や、同社会長、日本船主協会会長などを務めた。

人物・経歴

編集

兵庫県神戸市で生糸商伊藤商店の三男として生まれる。のち篠山藩士一井家に養子入りする。兵庫県立神戸商業学校(現兵庫県立神戸商業高等学校)、神戸高等商業学校(現神戸大学)を経て、1923年旧制東京商科大学(現一橋大学)卒業。上田貞次郎ゼミ出身。大学同期に中山伊知郎がいる[1][2]

大学卒業後兼松入社。のち三井物産入社。1946年から三井船舶社長を務め、同社を日本郵船とならぶ海運業大手に成長させた。1951年東京水上防火協会初代会長。1954年造船疑獄により逮捕されるが釈放される。1960年三井船舶会長。1973年商船三井相談役[1][3][4][5]日本船主協会会長なども務めた[6]

脚注

編集
  1. ^ a b 一井 保造 三井船舶 会長神商同窓会
  2. ^ 漫然たる落着き神戸大学
  3. ^ 「一井 保造(読み)イチイ ヤスゾウ」コトバンク
  4. ^ 「一井保造(読み)いちい やすぞう」コトバンク
  5. ^ 消防艇と水の消防ページェント 東京消防庁
  6. ^ 「船協海運年報 」- 45 ページ
先代
佐々木周一
三井船舶社長
第3代:1946年 - 1960年
次代
進藤孝二