万年屋(まんねんや)は、江戸時代東海道川崎宿にあった掛茶屋

江戸名所図会での万年屋。

旅人のほかに、厄年の男女が川崎大師参詣の途中に多数、立ち寄ったので、とくに繁昌した。『江戸名所図会』には、挿図のみが掲載され、記事がない[1]が、当時は説明を要しないほど知名度の高い[要出典][注釈 1]旅館兼茶屋であった。奈良茶飯が名物であった[3]

歌「お江戸日本橋」にも「(前略)六郷(ろくごう)わたれば 川崎の万年屋(後略)」とうたわれた。

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 岡本綺堂半七捕物帳』シリーズには、「いっそ川崎の宿まで引っ返して、万年屋で飯を食おうと云って、二人は空腹をかかえて、寒い風に吹きさらされながら戻って来ると」(『大森の鶏』[2])という一節があるが、万年屋についての説明はない。

参考文献 編集

  • 斎藤長秋 編「巻之二 天璇之部 河崎万年屋 奈良茶飯」『江戸名所図会』 一、有朋堂書店、464-465頁。NDLJP:1174130/238 
  • 河崎万年屋”. 川崎市川崎区 (2012年4月10日). 2020年12月11日閲覧。