三好 頼澄(みよし よりずみ)は、戦国時代武将細川氏の家臣。

 
三好 頼澄
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 永正6年8月2日1509年8月27日
主君 細川澄元
氏族 三好氏
父母 父:三好之長
兄弟 長秀頼澄芥川長光長則
政成三好宗渭?
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三好之長の子。一説には後に三好三人衆の1人として権勢を振るう三好宗渭が子とも。

父や長兄の長秀と細川澄元に仕えた。永正6年(1509年)6月、京都奪還のため父に従って細川高国大内義興らと戦うが敗れて兄の長秀と共に伊勢山田(三重県伊勢市)に敗走した(如意ヶ嶽の戦い)。だがここで高国と縁戚関係にあった北畠材親の攻撃を受けて長秀と共に自害に追い込まれた(『実隆公記』『細川両家記』)[1]

注釈 編集

  1. ^ 長江正一『三好長慶』吉川弘文館人物叢書〉、1989年4月(原著1968年)、21頁。ISBN 978-4-642-05154-5