三浦乾也
三浦 乾也(みうら けんや、1821年4月5日(文政4年3月3日)‐ 1889年(明治22年)10月9日)は、幕末から明治時代に活躍した陶工である。号は天禄堂。通称は陶蔵。幼名は藤太郎。
経歴・人物
編集江戸幕府の御家人の三浦清七の子として江戸の銀座に生まれる[疑問点 ]。
若くして伯父(父の姉と推定される)[疑問点 ]でもある井田吉六に師事し、陶業を始める。後に尾形乾山の作風を踏襲して制作し乾山5代と名乗った西村藐庵と親交を持ち、乾山6代と自称する。乾也が創始した技術は「乾也玉」と呼ばれた。
三浦乾也は嘉永7年8月から長崎でヘルハルドゥス・ファビウスやヤン・カレル・ファン・デン・ブルークより造船術、金属加工技術などを学び、安政3年1月には仙台に招聘されて総棟梁として帆船「開成丸」の建造に携わった[1][2]。
代表作
編集- 「鵞鳥(がちょう)図額」東京国立博物館収蔵[3]
脚注
編集参考文献
編集- コトバンク - 『日本大百科全書(ニッポニカ)』、『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』、『デジタル大辞泉』、『精選版 日本国語大辞典』、『世界大百科事典 第2版』: “三浦乾也とは”. コトバンク. 2022年12月1日閲覧。
- 佐藤大介, 黒須潔, 井上拓巳『仙台藩の洋式帆船開成丸の航跡 : 幕末の海防構想と実践の記録』東北大学災害科学国際研究所 歴史文化遺産保全学分野、2022年。hdl:10097/00134567。ISBN 9784991180279 。
- 黒須潔「「幕末の仙台藩洋式帆船・開成丸について」」〈仙台藩の洋式帆船開成丸の航跡 : 幕末の海防構想と実践の記録〉2022年、3-16頁。
- 佐藤大介「「幕末仙台藩政治社会史のなかの開成丸 ─ 「海洋国家」の夢への航跡」」〈仙台藩の洋式帆船開成丸の航跡 : 幕末の海防構想と実践の記録〉2022年、32-55頁。