三田芳裕

日本の実業家

三田 芳裕(みた よしひろ、1951年4月15日 - )は、日本実業家料亭玄冶店 濱田家代表取締役社長[1]明治座代表取締役社長[1]日本食生活文化財団理事長[2]。 株式会社銀座コリドー(不動産管理会社で明治座筆頭株主)代表取締役[3]

父は玄冶店 濱田屋の二代目で明治座元会長三田政吉フジテレビのアナウンサー・三田友梨佳は娘(次女)[4]。元三田観光企業社長・三田庄三郎は伯父。

経歴編集

東京・日本橋生まれ[2]慶應義塾大学商学部卒業後、家業の「玄冶店 濱田家」へ[1]1991年、明治座の非常勤取締役[1]。その後常務、専務、副社長を歴任した[1]。2002年、代表取締役社長に就任した[1]。玄冶店 濱田家の代表取締役も兼任[1]銀座コリドー街の一角、山下ビルを部分管理する株式会社銀座コリドーの代表取締役も父親から世襲、同社は役員も三田一族が占めている[3]

人物像編集

趣味は長唄BSNBA(バスケットボール)観戦[2]

「濱田家」は日本橋人形町料亭を営んでいる[5]江戸時代に は歌舞伎の玄冶店の舞台になった地域でその後、芳町という花柳界 が続いている[5]明治時代には川上貞奴がこの地の芸者置屋「濱田家」の養女となり、後に、俳優川上音二郎の妻となった[5]。置屋の「濱田家」は明治の末に店を閉めたが、芳裕の祖父五三郎が大正元年に料亭を開業する折、親戚であった関係で由緒ある「濱田家」の名をゆずり受け現在に至っている[5]。なお川上音二郎の生家は福岡出身の芳裕の妻啓子の実家のすぐそばにあり、縁がある[5]

家族・親族編集

三田家編集

(東京都中央区日本橋人形町
祖父・五三郎は板前職人で、日本橋の福井楼という料亭の料理長だった[5]。父・政吉が生まれてから2年後の1912年(大正元年)に、五三郎は料亭濱田家を創業した[5]
1910年(明治43年)生 - 2006年(平成18年)没
  • 妻・啓子[6](玄冶店「濱田家」女将
1951年福岡市博多区生まれ[6]。父は博多で会社を経営している[6]。青山学院短期大学卒業[6]日本航空に入社し、接客業を三年間経験した[6]。学生時代の教授の紹介で、お見合いして「濱田家」後継者三田芳裕と結婚[6]。なお父がトントンと結婚話を進めていた[6]
ゴルフ、旅行が大好き[6]。ストレス解消に韓流ドラマをボーッと見たりしている[6]
息子が結婚し、その妻が濱田家若女将として手伝うようになった[6]

親戚編集

  • 伯父
三郎(料理業・割烹三川家経営)[7]
定吉(料理業・割烹富士屋経営)[7]
庄三郎(料理業、実業家・三田観光企業社長)[7]

関連項目編集

脚注編集

  1. ^ a b c d e f g 日本橋福徳塾 三田芳裕氏
  2. ^ a b c 日本食生活文化財団「新理事長三田芳裕氏」選任、2010年6月28日 【 フードボイス発 】
  3. ^ a b c 三田友梨佳アナ 家業は高級料亭だけじゃない! 銀座「住所がないビル」から巨利を得る「ミタパン一族」光文社、2021.02.25
  4. ^ NNEWSポストセブン|フジ新人三田友梨佳アナ 実家はミシュラン三ツ星料亭経営
  5. ^ a b c d e f g h NPO法人東京中央ネット > 特集 > 今月の顔、三田政吉
  6. ^ a b c d e f g h i j k l ミシュランも評価の玄冶店「濱田家」女将三田啓子氏 博多っ子の心意気で、江戸の伝統をまもる Archived 2013年11月18日, at the Wayback Machine.、東京福岡県人会/ 会報(抜粋)/ 2010年11月号
  7. ^ a b c 第二十一版 人事興信録(下)』(昭和36年)み二〇頁