上内 彦策(かみうち ひこさく、1890年明治23年〉3月15日[1] - 1962年昭和37年)1月14日[2])は、朝鮮総督府官僚。実業家弁護士

経歴

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大分県宇佐郡明治村(現宇佐市)出身[1]。実兄上内恒三郎の養子となる[3]1915年大正4年)に高等文官試験に合格し、翌年に東京帝国大学法科大学独法科を卒業した[1]。久原鉱業に勤務したが、辞して1919年(大正8年)に朝鮮総督府試補となった[4]。道事務官専売局副事務官、同事務官、大邱府尹、忠清北道警察部長、全羅南道警察部長、警務局図書課長、内務局社会課長、京畿道警察部長、全羅北道内務部長、警務局警務課長、同保安課長、平安南道知事を歴任した[1][4]

1938年(昭和13年)に退官した後は、東洋拓殖株式会社理事、朝鮮鉱業振興株式会社監事、満州拓殖公社監事、朝鮮製鉄株式会社副社長、満州鴨緑江水力発電株式会社理事、西鮮合同電気株式会社取締役、朝鮮電力株式会社取締役、朝鮮電気冶金株式会社取締役、朝鮮有煙炭株式会社常務取締役、朝鮮鴨緑江水力発電株式会社取締役、江界水力電気株式会社取締役、朝鮮石油株式会社取締役、南鮮水力株式会社取締役、南鮮畜産株式会社取締役、朝鮮無煙炭株式会社監査役、朝鮮理研護謨工業株式会社監査役、朝鮮鉄道株式会社監査役、朝鮮送電株式会社監査役、富寧水力電気株式会社監査役、朝鮮米穀倉庫株式会社監査役などを務めた[4][5]

戦後は郷里の大分市で弁護士を開業するが、間もなく結核に侵され数年の闘病生活に入った[2]

脚注

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  1. ^ a b c d 輓近大日本拓殖史 1934.
  2. ^ a b 『国体文化 3月号』37頁。
  3. ^ 『国体文化 3月号』36頁。
  4. ^ a b c 人事興信録 1943.
  5. ^ 大衆人事録 1943.

参考文献

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  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版』帝国秘密探偵社、1943年。 
  • 『輓近大日本拓殖史』日本行政学会、1934年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版(上)』人事興信所、1943年。 
  • 『国体文化 3月号』日本国体学会、1972年。