上宮山 勇市(うえみややま ゆういち、1904年3月30日[1] - 没年不明)は、鹿児島県薩摩郡宮之城町(現さつま町)出身[1]井筒部屋に所属した元大相撲力士。本名は中間 勇一[1]。最高位は十両11枚目(ただし、後述のように十両力士として土俵に上がらなかった)。

経歴

編集

井筒部屋に入門し、1923年1月、初土俵を踏む[2]1932年1月、十両に昇進したが[2]番付発表直後に起きた春秋園事件で脱退し[2]、革新力士団に加わった。その後は相撲協会に復帰することはなかった。

脚注

編集
  1. ^ a b c 『大相撲星取大鑑』昭和編第1巻、168頁。
  2. ^ a b c 『昭和の大相撲 資料編』 309頁

参考文献

編集
  • 小池謙二『大相撲星取大鑑』昭和編第1巻、医聖社、1986年
  • 昭和の大相撲刊行委員会/編『昭和の大相撲 資料編』TBSブリタニカ、1989年

関連項目

編集