上沢 謙二(うえざわ けんじ、1890年11月21日 - 1978年7月7日)は、日本の児童文学童話作家教育者である。

経歴 編集

1890年に栃木県上都賀郡東大芦村(現 鹿沼市)に生まれる。地元の引田尋常小学校および高等科を卒業して上京。日本銀行に見習いとして採用される。1907年日本基督教団日本橋教会洗礼を受け、以後、キリスト者の道を歩む。1919年に結婚した後に日本銀行を退職、アメリカ合衆国へ留学する。1923年ワシントン州立大学教育学部卒業後、帰国。子供之友編集主任、日本キリスト教文化協会長などを歴任する。1938年、洗足幼稚園の経営を引き継ぐが、戦局の悪化に伴い1944年に休園。やがて1945年3月の東京大空襲により幼稚園が焼失し、郷里に疎開させていた家族のもとへ戻る。

戦後、鹿沼を拠点にしつつも上京し、日本日曜学校協会主事、婦人之友社編集担当を引き受け、一方でキリスト教児童文学としての口演童話、幼児童話などを執筆し始めた。1952年頃には地域からの要請を受ける形で鹿沼幼稚園の園長に就任。加えて地域の様々な職の要請も入り、栃木県労働委員会会長、労働争議斡旋委員など地方自治体がらみの仕事も引き受けた。教育関係では東京家政大学教授、川村短期大学講師も務め、鹿沼と東京を往復する多忙な生活をしながら執筆、編集作業を続けた[1][2]1957年(昭和32年)には「日本児童文学者協会鹿沼支部」を創設、同支部は1961年(昭和36年)に「河鹿の会」と改名し、現存する[3]1960年日本児童文芸家協会から児童文化功労者として表彰を受ける[4]

1978年7月7日、老衰のため死去。87歳。告別式は園長を務めた鹿沼幼稚園で行われた[5]

著作・編集・原案 編集

  • 『うみやまがっせん』(福音館書店)
  • 『3びきのこどものひつじ』(福音館書店 1984年)
  • 『世界クリスマス伝説集』編(中央出版社 1965年)
  • 『クリスマス童話伝説集』編(ヨルダン社 1965年)
  • 『クリスマスのほし』案(福音館書店 1964年)
  • 『保育のための童話学』(恒星社厚生閣 1963年)
  • 『ママのお話 : 話し方・作り方』(大日本図書 1963年)
  • 『2〜3才の幼児のためのママのお話:話し方・作り方』(大日本図書 1963年)
  • 『新幼児ばなし三百六十五日』(恒星社厚生閣 1963年)
  • 『三にんのおうじ:あべこべばなし』編(大日本図書 1963年)
  • 『新保育読本』(フレーベル館 1957年)
  • 『保育のための童話学』
  • 『いま、ここ保育』(恒星社厚生閣 1955年)
  • 『マタイの福音書』訳(愛之事業社 1941年)
  • 『ルカの福音書』訳(愛之事業社 1941年)
  • 『母のための赤ちゃんばなし』(厚生閣 1942年)
  • 『ルカのうれしいおしらせ』訳(子供聖書刊行会 1929年)
  • 『耶蘇伝』(洛陽堂 1916年)

脚注 編集

  1. ^ 小松隆二 (2010年). “子ども学の先駆者たち(2)児童学を視野に入れた児童文学者・上澤謙二”. 地域と子ども学 (2), 白梅学園大学. 2021年6月3日閲覧。
  2. ^ 上沢謙二”. 二十世紀人名辞典. 2021年6月2日閲覧。
  3. ^ 鹿沼市史編さん委員会 編 編『鹿沼市史 通史編 近現代』鹿沼市、2006年3月25日、636頁。 NCID BA4104833X 全国書誌番号:21173784
  4. ^ 日本児童文芸家協会 児童文化功労者一覧”. 日本児童文芸家協会 (2017年). 2021年6月2日閲覧。
  5. ^ 訃報欄 上沢 謙二氏(うえざわ・けんじ=児童文学者、日本キリスト教児童文化協会副会長)『朝日新聞』1978年(昭和53年)7月11日朝刊、13版、23面

関連項目 編集