上田義秀
上田 義秀(うえだ よしひで、1926年12月6日[1] - )は、日本の射撃競技(ピストル種目)選手。皇宮警察本部所属。1956年メルボルンオリンピックに2種目で出場。
経歴
編集佐賀県三養基郡基里村(現在は鳥栖市の一部)出身[2]。1951年に佐賀県立鳥栖高等学校定時制を卒業し[2]、翌1952年に皇宮護衛官[注釈 1]となる[2]。
全国警察短銃射撃競技会個人の部で、1954年に3位、1955年に2位と好成績を残した[2]。1956年メルボルンオリンピックで日本代表に選ばれ、男子ラピッド・ファイア・ピストルおよび男子フリー・ピストルの2種目に出場。
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b “Yoshihide Ueda”. Sports Reference LLC. 2020年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月1日閲覧。
- ^ a b c d e f 「ピストル射撃の名手上田君五輪へ参加」『鳥栖公民』鳥栖市中央公民館、1956年11月5日。2021年5月2日閲覧。
- ^ “Results”. ISSF. 2021年5月1日閲覧。
参考文献
編集- 束原文郎「1912年〜2008年夏季オリンピック日本代表選手団に関する資料:所属組織と最終学歴を中心に」『スポーツ科学研究』第10巻、早稲田大学スポーツ科学学術院、2013年、2021年5月1日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- Yoshihide UEDA - 国際射撃連盟 (ISSF)
- オリンピック日本代表選手団記録検索:「上田、義秀」の検索結果 - 日本オリンピック委員会 (JOC)