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概要編集

下野谷遺跡を保存・活用するために整備された公園である[1]

公園内には竪穴式住居の骨格復元・出土状況の復元・地層状態を表す土層模型があり、また公園中央部には子供たちの遊びの場として「原っぱ広場」が整備されている[1]。縄文時代の集落の学習を目的にクリクルミの木も植えられている[2]

下野谷遺跡編集

下野谷遺跡(したのやいせき)は縄文時代中期の環状集落の遺跡である[3]。直径は約150 m(メートル)で、面積は約2万4千 m2平方メートル[3]2015年平成27年)3月10日に国史跡に指定された[3]

この遺跡は住居跡群、墓とされる土坑群、倉庫と推定される掘立柱建物群などで構成されており、縄文中期の典型的な集落形態を示しているとされている[3]

同じような集落が谷を挟んで複数存在するため、「双環状集落」と呼ばれる拠点的な集落の特徴を持っている[2]。また、集落の形態に加え、出土した土器から推定できる集落の継続期間の長さ(1,000年以上)から石神井川流域の拠点となる集落であったと考えられる[3][2]。石神井川に面する日当たりの良好な高台から低地にかけて広がっていたとされ、水と緑に囲まれた土地は採集や狩猟には好適な生活の場であったと想定される[2]

出土した土器は勝坂式土器や加曽利E式土器が最も多いため、甲信越南東北の影響を受けているとされる[2]

この近辺では戦前から縄文土器のかけらなどが多く見つかり、1950年昭和25年)から考古学者の吉田格によって「坂上遺跡」と紹介された[2]。その後、1973年(昭和48年)から本格的な調査が開始され、1975年(昭和50年)には旧字名から現在の名称に変更されている[2]

この集落跡は南関東大際級の縄文集落跡であり、首都圏にある遺跡が開発・発掘されずに残されている例は極めて珍しいとされる[3]

イベント編集

この公園が位置する西東京市は「成立から日が浅く、住民同士のつながりが薄れ、地域のアイデンティも希薄である」という問題点を抱えていたため、この公園を活用して未来につなげる取り組みが行われている[4]。そこで、「縄文の森の秋まつり」が開催されている[4]。この祭りでは「火起こし」「どんぐり試食」などの体験ブースと、「出土遺物のパネル展示」などの展示・発表ブースが設営されている[4]

マスコットキャラクター編集

下野谷遺跡のマスコットキャラクターとして、「しーた」と「のーや」が存在する[2]。公園の最寄り駅となる東伏見駅の北口には「しーた」と「のーや」のモニュメントが設置されている[5]

アクセス編集

西武新宿線東伏見駅の南口から青梅街道方面へ約400 mの位置に存在する[1]

脚注編集

  1. ^ a b c 下野谷遺跡公園”. 西東京市 (2009年1月15日). 2018年8月13日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h 下野谷遺跡”. 西東京市 (2016年12月6日). 2018年8月14日閲覧。
  3. ^ a b c d e f “下野谷遺跡が国史跡に指定”. 産経ニュース. (2015年3月11日). 2015-03-11. https://www.sankei.com/region/news/150311/rgn1503110070-n1.html 2018年8月14日閲覧。 
  4. ^ a b c 和泉大樹「埋蔵文化財(遺跡)活用の目的と実施事業 ─その研究視点について─」『阪南論集 人文・自然科学編』第52巻第1号、2016年、 77頁。
  5. ^ 平成30年3月までの下野谷遺跡情報はこちら!”. 西東京市 (2018年5月18日). 2018年8月14日閲覧。

関連項目編集