中山善兵衛

江戸時代の宗教家

中山 善兵衛(なかやま ぜんべえ、1788年天明8年) - 1853年3月31日嘉永6年2月22日))は、江戸時代宗教家天理教教祖・中山みきの配偶者。大和国庄屋敷村(現在の奈良県天理市)出身[1]

中山 善兵衛
個人情報
生誕
中山 善兵衛(なかやま ぜんべえ)

1788年天明8年)
大和国山辺郡庄屋敷村(現在の奈良県天理市三島町)
死没 1853年3月31日嘉永6年2月22日
 大和国山辺郡庄屋敷村(現在の奈良県天理市三島町)
宗教 天理教
配偶者 中山みき
子供 中山秀司
中山まさ
中山やす
中山はる
中山つね
中山こかん
両親 父:中山善右衛門
母:中山きぬ
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生涯 編集

1788年天明8年)、大和国庄屋敷村(現在の奈良県天理市三島町)で庄屋・中山善右衛門ときぬの長男として生まれる[2]1810年10月13日文化7年9月15日)に中山みきと結婚し、1男5女を儲ける[3]

1838年天保9年)に妻である中山みきが天理教の教祖となった以降は「神のやしろ」となった妻の言動に長年にわたって苦悩したといわれている[3]

1853年3月31日嘉永6年2月22日)、死去。享年66[3]

脚注 編集

  1. ^ 庄屋善兵衛とその妻 - 天理教立教当時の精神史点描”. 天理大学. 2017年8月28日閲覧。
  2. ^ 中山みき 「心直し」から「世直し」を説いた生き神教祖”. 氷室神社文化興隆財団. 2017年8月28日閲覧。
  3. ^ a b c 中山みき”. 国立国会図書館. 2023年9月26日閲覧。