中川 秀胤(なかがわ ひでたね、生年不詳 - 慶長5年(1600年))は、戦国時代武将。通称金右衛門[1]

略歴 編集

織田信長に仕え、永禄3年(1560年)、桶狭間の戦いで武功を挙げ、永禄7年(1564年)には百石を賜った [2] [1]。秀胤の子・中川胤重(又十郎)も、信長・秀信に仕え、慶長5年(1600年)岐阜城の戦いで戦死した。

子孫に江戸時代の茶人住山楊甫がいる[2]

参考文献 編集

  • 『東区史人物篇. 第5巻』(大阪市東区、1939年、667p)
  • 『通俗日本全史第9巻』( 早稲田大学出版部 、1913年、129p)

脚注 編集