中村 忠雄(なかむら ただお、1909年明治42年)2月8日[1][2] - 1981年昭和56年)5月30日[1][2])は、日本の政治家茨城県龍ケ崎市長を務めた(2期)。

来歴 編集

茨城県稲敷郡柴崎村(のち新利根村→新利根町、現在の稲敷市)に生まれる[3]1931年(昭和6年)に東京歯科医学専門学校(現在の東京歯科大学)を卒業した[1][2]。その後、歯科医院を開業する[1][2]

1940年(昭和15年)稲敷郡大宮村(現在の龍ケ崎市)会議員となり、1946年(昭和21年)には議長となる[1][2]

龍ケ崎市発足後の1955年(昭和30年)、龍ケ崎市議会議員となる。1966年(昭和41年)、市議会議長に就任した[1][2]1975年(昭和50年)、龍ケ崎市長に当選した[1][2]1979年(昭和54年)に再選した。在任中は市内にニュータウンの造成を中心とする総合都市を計画していた[1]。しかし、2期目途中の1981年(昭和56年)5月30日、交通事故により死去した[1][2]。6月13日に龍ケ崎市民葬が執り行われた[4]

栄典 編集

脚注 編集

  1. ^ a b c d e f g h i 『日本の歴代市長 第1巻』531頁。
  2. ^ a b c d e f g h 『茨城県人物・人材情報リスト 2021』87頁。
  3. ^ 『いはらき』(現在の『茨城新聞』)1981年6月13日4面、「故中村忠雄竜ケ崎市長を悼む」。
  4. ^ 『いはらき』1981年6月14日15面。

参考文献 編集

  • 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長 第1巻』歴代知事編纂会、1983年。
  • 『茨城県人物・人材情報リスト 2021』日外アソシエーツ、2020年。

関連項目 編集