中野 悌治(なかの ていじ、1864年12月29日元治元年12月1日[1][2]) - 1938年昭和13年)5月5日[2][3])は、日本の衆議院議員立憲同志会憲政会)。弁護士

中野悌治
なかの ていじ
生年月日 1864年12月29日
出生地 日本の旗 日本 出羽国鶴岡城
(現・山形県鶴岡市
没年月日 (1938-05-05) 1938年5月5日(73歳没)
出身校 東京法学院卒業
(現・中央大学
前職 弁護士
所属政党立憲同志会→)
憲政会

選挙区 山形県郡部選挙区
当選回数 1回
在任期間 1915年 - 1917年1月25日


鶴岡町会議員
鶴岡市会議員
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経歴 編集

中野正義の二男として、出羽国鶴岡城下二百人町(現在の山形県鶴岡市)に生まれる[2]。鶴岡変則中学(現在の山形県立鶴岡南高等学校)を卒業後[2]1884年明治17年)から3年間小学校の訓導を務めた後、上京して、1890年(明治23年)に東京法学院(現在の中央大学)を卒業した[1][2]。同年、代言人試験を受けて合格[2]1891年(明治24年)7月、鶴岡町に事務所を開いた[2]。その後、鶴岡町会議員、同市会議員、山形県会議員、同参事会員に選出された[3]。ほか、水利組合会議員、所得税調査委員などを務めた[2]

1915年大正4年)、第12回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。

脚注 編集

  1. ^ a b 『現代日本の政治家』pp.188-189
  2. ^ a b c d e f g h 庄内人名辞典刊行会 1986, 499頁.
  3. ^ a b 『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』

参考文献 編集

  • 細井肇『現代日本の政治家』国光社、1916年。 
  • 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年。 
  • 庄内人名辞典刊行会 編『新編庄内人名辞典』庄内人名辞典刊行会、1986年。