久川豊昌

日本の車いすフェンシング選手

久川 豊昌(ひさかわ とよあき、1966年? - )は、日本車いすフェンシング選手。2000年2004年2008年夏季パラリンピック日本代表選手。

経歴

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22歳の頃にバイク事故で脊髄を損傷し、みぞおちから下の感覚を失った後、チェアスキー選手として活動していたところ、1997年に日本車いすフェンシング協会の理事長・小松真一に見い出され、パラリンピックの出場に必要な世界ランクを上げるため、車いすフェンシングの海外遠征を重ねた[1]。1998年、1999年、2000年の車いすフェンシングワールドカップと、1999年のバンコクでのFESPIC ゲームに参加した。3回のパラリンピックに日本代表として出場し、毎回フルーレBクラスとエペBクラスの両方の種目に出場している[2][3]

脚注

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  1. ^ 渡辺志帆 (2008年9月4日). “友の支えで三たび挑戦 車いすフェンシング・久川豊昌”. asahi.com (朝日新聞社). オリジナルの2008年9月15日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20080915163925/http://www2.asahi.com/olympic2008/news/TKY200809040201.html 2022年9月21日閲覧。 
  2. ^ Toyoaki Hisakawa - Wheelchair Fencing” (英語). Paralympic Athlete Profile. International Paralympic Committee. 2022年9月21日閲覧。
  3. ^ Japan Wheelchair Fencing Association”. Japan Wheelchair Fencing Association. 2012年9月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月21日閲覧。