久志本 常興(くしもと つねおき)は、安土桃山時代の医者。豊受大神宮権禰宜、神宮医。

 
久志本常興
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 天文元年(1532年
死没 慶長3年(1598年)5月
墓所 青蓮寺(三重県伊勢市
官位 従五位下周防守
主君 織田信長徳川家康
氏族 度会氏久志本家
父母 父:久志本常辰、母:林秀貞の娘
関盛信の娘
常尹
テンプレートを表示

生涯 編集

平安時代末より代々伊勢神宮の医官を務める家系で、父の代からは織田信長にも仕えた。自身も信長に仕え、信長の死後、天正12年(1584年)からは徳川家康に仕え、小牧・長久手の戦い小田原征伐に従軍した。また後陽成天皇に神仙解毒丸を献上して宸筆を賜った。伊勢神宮の遷宮に際しては神役を務め、以後代々伊勢神宮の神役を久志本家が務めた。著書に「常興煆錬要法」がある。

出典 編集