乗満寺

東京都世田谷区にある寺院

乗満寺(じょうまんじ)は、東京都世田谷区北烏山にある真宗大谷派寺院。「烏山寺町」を構成する26の寺院の1つである。

乗満寺
所在地 東京都世田谷区北烏山5-7-1
位置 北緯35度40分37.6秒 東経139度35分48.2秒 / 北緯35.677111度 東経139.596722度 / 35.677111; 139.596722座標: 北緯35度40分37.6秒 東経139度35分48.2秒 / 北緯35.677111度 東経139.596722度 / 35.677111; 139.596722
山号 野條山
院号 林松院
宗旨 浄土真宗
宗派 真宗大谷派
本尊 阿弥陀如来
創建年 不詳
中興年 室町時代中期【第1次】、天正年間(1573年 – 1593年)【第2次】
中興 道祐【第1次】、明泉法師【第2次】
正式名 野條山林松院乘滿寺
別称 猫寺
林松寺
法人番号 7010905000269 ウィキデータを編集
乗満寺の位置(東京都区部内)
乗満寺
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概要 編集

創建年代は不明である。元々は加賀国(現・石川県)に位置し、「林松寺」と称する真言宗の寺院であった。蓮如上人北陸巡錫の折、林松寺住職の道祐が蓮如の教えに帰依し、浄土真宗に転宗した[1]

その後、摂津国(現・大阪府)や山城国(現・京都府)を転々としたが、寺運衰微して廃寺寸前まで追い込まれた[1]

天正年間(1573年 - 1593年)に至り、野條受閑という名の医師の協力の下、明泉法師が中興した。その後、駿河国(現・静岡県)に移転し、徳川家康の江戸入府に伴い、江戸車坂(現・東京都台東区東上野付近)に移転した。その頃に「野條山乗満寺」に改称した[1]

1923年大正12年)の関東大震災に罹災したため、翌年1924年(大正13年)に現在地に移転した[2]

江戸時代幕臣の檀家が多かったという[2]

交通アクセス 編集

出典 編集

  1. ^ a b c 竹内秀雄 著『世田谷区史跡散歩 (東京史跡ガイド12)』学生社、1992年、154p
  2. ^ a b 野條山乗満寺烏山仏教会「寺町通り」

参考文献 編集

  • 世田谷区 編『小学生の烏山寺町あんない 付 世田谷の社寺と遺宝その2』世田谷区、1978年
  • 竹内秀雄 著『世田谷区史跡散歩 (東京史跡ガイド12)』学生社、1992年

関連項目 編集