二階堂行章

鎌倉時代中期の御家人。鎌倉幕府 引付衆。隠岐信濃守

二階堂 行章(にかいどう ゆきあき)は、鎌倉時代中期の御家人鎌倉幕府引付衆

 
二階堂行章
時代 鎌倉時代中期
生誕 嘉禎元年(1235年
死没 文永11年4月15日1274年5月23日
別名 通称:和泉次郎左衛門尉、三郎左衛門尉
官位 信濃守
幕府 鎌倉幕府 引付衆
主君 藤原頼嗣宗尊親王
氏族 藤原南家乙麻呂二階堂氏
父母 父:二階堂行方、母:佐々木信綱[1]
行員中条頼平室、佐々木頼綱室、二階堂行清[2]
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略歴

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嘉禎元年(1235年)、二階堂行方の子として誕生。

吾妻鏡』によると、寛元2年(1244年)から文永3年(1266年)まで5代将軍・藤原頼嗣、6代将軍・宗尊親王の供奉、随兵の一人として名を連ね、文永7年(1270年)、二階堂行佐と共に引付衆に列した。

文永11年(1274年)、死去。

脚注

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  1. ^ 「関東評定伝」
  2. ^ 「尊卑文脈」

出典

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  • 安田元久『鎌倉・室町人名事典』(新人物往来社、1990年)