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人見 淇堂(ひとみ きどう、生年不明明治27年(1894年))とは明治時代の浮世絵師

来歴編集

椿椿山及び葛飾北斎の門人。名は政義。通称は甚四郎。東京の人。『浮世絵大成』第9巻配本の月報に「北斎の貧状」と題して、「葛飾北斎素より、一歳火災に罹りて一の文房具なし、所謂貧乏徳利を割て、其底僅かに水を湛るに堪るもの是を筆洗とし、其大小の残片を取て画具皿に代ふと云ふ。知るべし其襟度と其赤貧とを。此一話は人見淇堂(椿山門人)の談なり。淇堂一たび北斎の門に遊びしことあり、故に其実況を知れるなり。」という記事が見られる。青山青原寺[1]に葬られる。

作品編集

脚注編集

  1. ^ 青原寺は明治42年に中野区上高田に移転する。

参考文献編集

  • 荒木矩編 『大日本書画名家大鑑』 第一書房、1975年
  • 永田生慈 「葛飾派門人録(未定稿)」 『浮世絵芸術』第68号 日本浮世絵協会、1981年
  • 日本浮世絵協会編 『原色浮世絵大百科事典』第2巻 大修館書店、1982年 ※113頁
  • 鈴木美絵「暁斎をめぐる画家 ‐是真・乾堂・綾岡・淇堂・黄石・竹圃・柳亭・応真‐」『暁斎』第95号 河鍋暁斎記念美術館、2007年