人見 蕉雨(ひとみ しょうう)、ないし、人見 蕉雨斎(ひとみ しょううさい、1761年宝暦11年)- 1804年文化元年))は、江戸時代日本国学者出羽国久保田藩の藩士[1]。名は寧[2]、ないし、藤寧[1]は子安、通称は常治、ないし、但見とされる[1]

様々過去の記録や伝聞を書きとどめた著書を残し、特に『黒甜瑣語(こくてんさご)』などで知られる[1]

数え44歳で没し、善長寺に葬られた[3]

著書編集

『黒甜瑣語』のほか、『蕉雨斎吟稿』[1]、『久保田城中年中行司』、『秋田紀麗』などが残されている[4]

これらを収録した印刷本として、『人見蕉雨集 第1冊〜第5冊』が1968年秋田魁新報社から刊行されている。

脚注編集

  1. ^ a b c d e デジタル版 日本人名大辞典+Plus『人見蕉雨斎』 - コトバンク
  2. ^ おおいしだものがたり 第四十二話 盲(めくら)の琵琶法師(びわほうし)が大石田を救った伝説について”. 大石田町 (2016年3月25日). 2018年6月3日閲覧。
  3. ^ 秋田県立図書館 (2016年9月9日). “レファレンス事例詳細 人見蕉雨の戒名を知りたい。”. 国立国会図書館. 2018年6月3日閲覧。
  4. ^ 秋田県 矢島の神明社八朔祭 3.秋田県内の八朔祭・県外の八朔祭との比較”. 由利本荘市. 2018年6月3日閲覧。