伊丹 春雄(いたみ はるお、1859年1月5日安政5年12月2日[1])- 大正9年(1920年)3月1日[1][2])は、明治から大正前期の政治家華族貴族院議員男爵正四位勲四等[2]

伊丹春雄

経歴 編集

伊丹家は、京都の地下の家系で、父・伊丹重賢、母・ひさ(谷時亮の娘)の長男として生まれた。父の重賢は久邇宮朝彦親王に仕えた忠君愛国の人物である。父と共に東上して慶應義塾に学び、1896年(明治29年)父が男爵を授けられたる後、春雄も拝謁して天盃を賜る。

1900年(明治33年)7月、父の死去に伴い男爵を襲爵。1907年(明治40年)12月21日、貴族院男爵議員補欠選挙で選出され[3]、1911年(明治44年)7月9日に任期満了となる[注釈 1]。1913年(大正2年)3月8日、補欠選挙で貴族院議員に再選され[4][5]、死去するまで在任した[2][6]

栄典 編集

親族 編集

伊丹男爵家は伊丹重雄に継承された。また弟に実業家の伊丹二郎がいる。夫人は8代秋元三左衛門の娘で、子女はかよ、重雄がいる。

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』62-63頁では明治40年12月から死去まで在任の記載であるが、明治44年の改選男爵議員の『官報』〔第8423号、明治44年7月20日、478頁〕掲載の当選者名簿に記載がなく、大正2年3月に再選されている。

出典 編集

  1. ^ a b 『平成新修旧華族家系大成 上巻』147頁。
  2. ^ a b c 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』62-63頁。
  3. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、16頁。
  4. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、22頁。
  5. ^ 『官報』第181号、大正2年3月10日。
  6. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、29頁。
  7. ^ 『官報』第5123号「叙任及辞令」1900年7月31日。
  8. ^ 『官報』第5842号「叙任及辞令」1902年12月22日。
  9. ^ 『官報』第1630号「叙任及辞令」1918年1月11日。

参考文献 編集


日本の爵位
先代
伊丹重賢
男爵
伊丹(重賢)家第2代
1900年 - 1920年
次代
伊丹重雄