伊東 祐宗(いとう すけむね、1265年 - 1339年)は、日本の武将。伊東祐時の次男。日向伊東氏4代当主。この生没年は享年から逆算している。兄に景祐。弟には、憲祐、祐秀。赤阪城の戦い等、重要な緒戦に一族郎党と共に参加している。

生涯編集

1265年、伊東祐時の次男として生まれる。兄に景祐がいたが、尊卑分脈に「兄為れどお家継がず」 との記述がある事から、何らかの理由で廃嫡されている事が分かり、祐宗が家を継いだ。母の後押しもあり、祐頼にかわって4代当主となる。後藤氏の娘と代々結婚しているが、理由不明。六人の子に恵まれた。また、赤阪城の戦いにも幕府軍として子や弟を連れて参戦している。また、義理の従兄弟に当たる後藤基宗から、宗の字を偏諱されている。更に、時の執権であった北条時宗からも偏諱を受け、烏帽子関係となっていたことが窺える。

系譜編集

父 伊東祐時

妻 後藤基邦の娘

長男 貞祐

生母不明の子女

次男 維祐

三男 憲祐

四男 祐光

五男 祐範

六男 祐忠

脚注編集

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参考文献編集

  • 尊卑分脈 日向伊東氏
  • 寛政重修諸家譜