伊達 敦宗(だて あつむね、生没年不詳)は、久保田藩重臣で同藩の相手番。国分氏の後身の秋田伊達氏7代目当主。父は久保田藩家老の伊達峯宗(備前)。通称は外記。妻は久保田藩重臣の古内蔵人の娘[1]。
代々の秋田伊達氏当主と同様、藩主佐竹義敦より偏諱を拝領する。明和8年(1771年)に相手番となる。嗣子がなく、弟の敦重が家督を相続した。