佐久間信賢

日本の江戸時代中期~後期の武士。江戸幕府旗本奈佐勝英五男で、同格佐久間信正婿養子。信則系佐久間氏(信重系佐久間氏分家)5代当主。大番を勤める

佐久間 信賢(さくま のぶかた、元文元年(1736年) - 安永元年11月21日1772年12月15日))は、江戸時代中期の旗本佐久間氏の一族。通称は孫九郎。奈佐四兵衛勝英の五男で、佐久間信正の婿養子となった。妻は信正の娘。娘は佐久間信近(松前広居の次男)の妻。

宝暦5年(1755年)4月10日、家督(蔵米300俵)を相続。同年9月28日に初めて将軍家重に拝謁。

宝暦8年(1758年)6月8日、大番に列せられた。

安永元年(1772年)11月21日、死去。享年は37。法名は日照。墓所は谷中一乗寺