佐原 太郎右衛門(さばら たろうえもん、天和2年(1682年) - 享保15年1月21日1730年3月9日))は、江戸時代中期の農民[1]義民[2]

経歴・人物編集

陸奥国信夫郡佐原村の人物[1]。享保14年(1729年)の信夫・伊達郡一揆の頭取[1]。3月に大森・川俣代官所支配の54の村は幕府の大森代官所に年貢減免などを強訴[1][2]。その後、太郎右衛門は江戸下谷長者町白子屋に潜伏し、訴状や追訴状を目安箱へ投入した[2]。9月に幕府は一揆の謀者94名を処罰[2]。太郎右衛門は村に不在のまま追放刑となる[2]。12月江戸で捕らえられ、翌年佐原村荒田口で獄門に処された[2]

脚注編集

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  1. ^ a b c d デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『佐原太郎右衛門』 - コトバンク
  2. ^ a b c d e f 朝日日本歴史人物事典(朝日新聞社)『佐原太郎右衛門』 - コトバンク