メインメニューを開く

佐野 久綱(さの ひさつな、1600年慶長5年) - 1679年8月1日延宝7年6月25日))は、江戸時代前期の旗本で、下野国佐野藩の嫡子だった。佐野信吉の長男。母は佐野宗綱の娘。正室は大森氏。子に佐野盛綱(三男)など。初名は定綱。通称は小吉、吉兵衛。号は雲峰。

 
佐野久綱
時代 江戸時代前期
生誕 慶長5年(1600年
死没 延宝7年6月25日1679年8月1日
別名 小吉、吉兵衛
戒名 義光院殿雲峰性忠大禅定門[1]
墓所 東京都目黒区下目黒3-20-9 深川海福寺[1]
幕府 江戸幕府
主君 徳川家康秀忠
下野佐野藩
氏族 藤原北家秀郷流佐野氏
父母 父:佐野信吉 母:佐野宗綱
兄弟 佐野公當、島村貫吉
大森氏
佐野盛綱

慶長19年(1614年)、父の兄にあたる伊予国宇和島藩富田信高の事件に連座して佐野藩は改易され、父とともに信濃国松本藩に預かりの身となった。元和8年(1622年)赦免され、久綱は寛永15年(1638年)に召し出されて50人扶持を与えられ、書院番士となる。2年後の寛永17年(1640年)には3000俵を給され、弟の公當に1000俵を分与。のち久綱の子孫は3500石の旗本寄合となった。

寛文8年(1668年)に致仕して家督を子の盛綱に譲る。延宝7年(1679年)、80歳で没した。

脚注編集

[ヘルプ]
  1. ^ a b 『田原族譜』第4版 山士家左伝