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倉富 鈞(くらとみ ひとし、1885年明治18年)2月28日[1] - 1977年昭和52年)4月5日[1][2])は、大正・昭和期の実業家政治家華族貴族院男爵議員

経歴編集

司法官僚倉富勇三郎の長男として生まれる[1][3]。父の隠居に伴い、1936年6月1日、男爵を襲爵した[1][3][4]

1910年7月、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業[1][3][5]1928年朝鮮銀行秘書課長兼国庫課長に就任[2]。その後、同検査役、産業組合中央金庫参事・貸付課長、同理事、農地開発営団理事などを務めた[2][3]

1941年9月、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し[6]公正会に所属して活動し、1947年5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]。この間、鈴木貫太郎内閣司法参与官、司法省委員、経済関係罰則調査委員会委員、家事審判制度調査会委員、金融制度調査会委員などを務めた[2]

親族編集

脚注編集

  1. ^ a b c d e f g h i 『平成新修旧華族家系大成』上巻、552頁。
  2. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』70頁。
  3. ^ a b c d 『人事興信録』第14版 上、ク53頁。
  4. ^ 『官報』第2823号、昭和11年6月2日。
  5. ^ 『東京帝国大学一覧 明治43-44年』東京帝国大学、1911年、学士及卒業生姓名109頁。
  6. ^ 『官報』第4403号、昭和16年9月9日。

参考文献編集

  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館、1996年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 人事興信所編『人事興信録』第14版 上、1943年。


日本の爵位
先代:
倉富勇三郎
男爵
倉富(勇三郎)家第2代
1936年 - 1947年
次代:
華族制度廃止