六甲事件(ろっこうじけん)は、1914年(大正3年)に日本領台湾の嘉義庁六甲で発生した武装蜂起。首謀者の経歴や動機などから、他の武装蜂起とは異なり、台湾抗日運動と看做すことが出来ないという意見もある。

概要 編集

首謀者の羅嗅頭は元々資産家の出であったが、没落して強姦事件を起こすまでに落ちぶれていた。そこに窃盗事件を起こして逃亡中の羅獅と出会い意気投合、台湾総督府警察を敵視して襲撃する計画が立てられた。しかし、武器調達のために交番に忍び込んだ事が発覚し、警察の捜索を受ける身となった。羅一党は警察に反撃したものの、あっけなく敗れ、羅嗅頭は自殺した。最終的に8人が死刑になった。

参考文献 編集

  • 松下芳男『暴徒鎮圧史』柏書房、1977年
  • 古野直也『台湾軍司令部 1895-1945』国書刊行会、1991年

関連項目 編集