内藤 信智(ないとう のぶとも、元文3年(1738年) - 明和4年5月26日1767年6月22日))は、江戸時代中期の旗本内藤信庸の養嗣子。別名・幸三郎、頼母。妻は谷衛衝の娘。子に谷衛貞妻、信義

元文3年(1738年)内藤信朋の子・内藤信邦の次男として生まれる。父・信邦は同年8月11日に夭折したため、内藤信庸が家督を継ぎ、信智はその養子となった。

宝暦6年(1756年)12月7日、将軍徳川家重御目見する。しかし明和4年(1767年)5月26日、養父・信庸に先立ち死去した。享年30。信庸の遺領は信智の子・信義が継承している。

寛政譜」には法名、葬地が記されていない。

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