別宮 貞俊(べっく さだとし、1893年2月18日[1] - 1958年9月19日)は、日本実業家工学博士登山家住友電気工業初代社長を務めた。

経歴 編集

東京都で別宮音五郎の子として生まれる[1]1917年東京帝国大学工学部電気科を卒業し、逓信省で電気試験所技師を務め、東京工業大学教授も務めた[1]

1930年住友電気工業の前身である住友電線製造所に転職し、常務、専務、社長を歴任した[1]

東京電機大学教授、日本科学技術情報センター理事長、日本電気学会会長なども歴任した[1][2]登山が趣味で日本山岳会会長も務めた[2]

1958年9月19日狭心症のために死去。65歳没。

脚注 編集

  1. ^ a b c d e 人事興信所 1957, へ1頁.
  2. ^ a b 1968年 5月17日 読売新聞 朝刊 p4

参考文献 編集

  • 人事興信所 編『人事興信録 第17版 下』人事興信所、1958年。 
学職
先代
槇有恒
第7代:1951年 - 1955年
日本山岳会 会長
第8代:1955年 - 1958年
次代
日高信六郎
第9代:1958年 - 1962年