前田直養

日本の江戸時代後期の武士。加賀藩年寄前田直方四男で、加賀八家前田土佐守家世嗣

前田 直養(まえだ なおやす、安永元年(1772年12月 - 文化2年5月29日1805年6月26日))は、加賀藩の藩士。加賀八家筆頭前田土佐守家の6代当主前田直方の四男。幼名は内匠助。前田土佐守家では当主に準ずる準代[1]として扱っている。

寛政10年(1798年)7月6日に新知2500石を受けるが、文化2年(1805年)5月29日、父に先立ち家督を継がずして34歳で亡くなった。法号は孝順院。土佐守家の家督は子の直時が継承した。

脚注

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  1. ^ 前田土佐守資料館『前田土佐守について

参考文献

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  • 『石川県史』