副島太郎
大日本帝国陸軍軍人
副島 太郎(そえじま たろう、1897年(明治30年)4月20日[1] - 1942年(昭和17年)5月21日[1][2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将(没後特進)。
経歴
編集佐賀県出身[1][2]。1918年(大正7年)5月、陸軍士官学校第30期卒業[3]。同年12月に陸軍歩兵少尉に任官[3]。のち東京帝国大学政治科を卒業する[2]。1923年(大正12年)陸軍大学校に入学し、1926年(大正15年)同校第38期卒業[4]。
1937年(昭和12年)11月に参謀本部庶務課高級課員、1938年(昭和13年)7月に北支那方面軍第3課長を経て、1939年(昭和14年)3月に陸軍歩兵大佐に進む[2]。この間支那事変に出動した[1]。ついで、同年8月に歩兵第90連隊長に補され、1942年(昭和17年)5月21日、錦州で戦死[1][2]。陸軍少将に没後特進した[2]。
脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。