大佐

軍隊の階級のひとつ

大佐(たいさ)は、軍隊の階級のひとつ。軍階級上では佐官に区分され、少将または准将の下、中佐の上に位置する。

昭和期の日本海軍では「だいさ」とも呼ばれた[1]#旧日本軍参照)。

概要 編集

北大西洋条約機構の階級符号では、OF-5に相当する。概ね陸軍におけるカーネル (Colonel)、海軍におけるキャプテン (Captain) に相当し[注釈 1]、中国語においては上校[3]、大韓民国では大領と称する。スイス軍では大佐が平時における最高位とされ、准将に相当するBrigadier(旅団長)、少将に相当するDivisionär(師団長)、および中将に相当するKorpskommandant(軍団指揮官)はあくまでも大佐の職位である。

名称 編集

カーネルとキャプテン 編集

Colonelの呼称については、16世紀のスペインまたはイタリアでの縦隊(colonna / columena)に由来し、その長はカピタン(Capitán)が務めていた。後に、「中隊長(陸軍)大尉、カピタン / キャプテン」との混同を避けるため「縦隊」の部分が残ったと推測される[4]。Colonelはラテン語のcolumnella(小さな柱)に起源を持つ。縦隊長(cabo de columena、変化して cabo de colonel、カボ・デ・コロネル)が直接の語源。省略されてColonelとなった。

英語では、陸軍大佐はカーネル (Colonel)、海軍大佐はキャプテン (Captain) と呼び、ヨーロッパの言語の多くで、同様の区別がある。英米陸軍などにおいては Captain は大尉を意味する[注釈 2]。空軍大佐は陸軍大佐と同じ呼び名であることが多いが、イギリス空軍やイギリス空軍を範としたインド空軍オーストラリア空軍ニュージーランド空軍などではGroup captainと呼ばれる。

日常的には、中佐 (Lieutenant Colonel) もカーネルと呼ばれることが多い。

イギリス陸軍の連隊にはカーネルという名誉職(但し、階級ではない)があり、連隊長と訳される。これはあくまで名誉職であり、連隊指揮権を有するのはその下の「commanding officer」である。名誉職のカーネルを階級のカーネルと区別したいときは、「Colonel of the Regiment」(連隊のカーネル)などという。

さらに、「Colonel-in-Chief」という名誉職もあり、連隊所有者、名誉連隊長などと訳される。連隊長(カーネル)の上に位置し、名目上は連隊の最上位である。かつてのドイツ陸軍にも「Chef eines Regiments(英訳 Colonels-in-Chief of a Regiment)」という類似の名誉職があり、名誉連隊長、名誉大佐(ただし、ドイツ陸軍にはこれとは別に名誉階級の大佐がいたので紛らわしい)などと訳される。

「Oberst」と「Полковник」 編集

欧州における陸軍大佐の呼称には上記の「Colonel」の系列以外にも、ドイツ語圏及び北欧圏で多用される「Oberst」(古くは「Obrist」とも)と、ロシアおよびスラヴ語圏で多用される「ПолковникPolkovnik)」の2つの系列が存在する。おおよその語義としては、前者は「最上級野戦指揮官」、後者は「連隊指揮官」程度となる(ロシア語では連隊はポールクロシア語: Полк、ラテン文字:Polk)と呼ばれる)。

非軍人の大佐 編集

野口英世(日本の医学者)やカーネル・サンダースケンタッキー・フライドチキン創業者)など、名誉大佐の敬称を送られた人物が多く存在する。これらは軍事とは無関係で、カーネル(≒大佐)を名乗るからと言って軍人だとは限らない。詳細は名誉大佐を参照。

エジプトのガマール・アブドゥン=ナーセルは大統領になる前はカーネルを名乗っており、これにならってリビアカダフィ大佐(カーネル・カダフィ)もカーネルを名乗っている。これらの場合の「カーネル」の語義については諸説がある(ムアンマル・アル=カッザーフィー#名称表記の項を参照のこと)。

なお、キャプテンという敬称は、船長、機長、スポーツチームのリーダー(日本では「主将」とも呼ばれる)など、軍隊の階級以外でも使われており、日本語でも外来語として定着している。つまりキャプテンを名乗るからといって軍人とは限らないことが、日本でもよく理解されている。

律令制における佐 編集

日本語における佐は律令制下の五衛府の官名として登場するが[5] [6] [7]、左右兵衛佐・左右衛門佐・検非違(使)佐などであり大佐は律令には現れない[8] [9] [10]四等官においては役所を統括する「督(かみ)」を文字通り補佐するのが「佐(すけ)」である[11] [12]

沿革 編集

かつての陸軍にあっては、平時の最大の部隊は連隊だったことから、連隊将校団の長(連隊長)たる大佐が平時の最高の階級とされることもあった。上述のように、スイスにおいては現在も平時には大佐が最高階級である。

海軍においても、艦隊は臨時編成のものであって、個々の軍艦が独立の単位であったことから、艦長たる大佐が常時置かれる最高階級とする海軍も多かった。そのため、複数の軍艦を以て艦隊を編成するに際しては、最先任艦長に代将の職責を付与して艦隊を指揮させることがあった(詳しくは代将参照)。米国海軍でも、1862年7月16日までは大佐が最高階級であった。

多くの国の海軍では、4条の線で階級が表される。

日本 編集

旧日本軍 編集

版籍奉還の後、1870年10月12日(明治3年9月18日)に太政官の沙汰により海陸軍大佐以下の官位相当を定めたときに海陸軍中佐の上に海陸軍大佐を置き正五位相当とした[13] [注釈 3] [注釈 4] [注釈 6] [注釈 7]廃藩置県の後、明治4年8月[注釈 8]の官制等級改定[24]及び兵部省官等改定[25] [注釈 11]や明治5年1月の官等改正[34]及び兵部省中官等表改定など数度の変更があり[25] [注釈 12]、明治5年2月の兵部省廃止及び陸軍省海軍省設置を経て[36]、明治6年5月8日太政官布達第154号[37] [38]による陸海軍武官官等表改正で軍人の階級呼称として引き続き用いられ[注釈 17]西欧近代軍の階級呼称の序列に当てはめられることとなった[注釈 6] [注釈 1]。 こうした経緯から西欧語が持っている「集団の大黒柱」というニュアンスはない。「佐」とは漢字の字義でいえば「脇で支え助ける」という意味になる。

日本陸海軍では、当初は兵科に属する高等武官奏任官1等)のみを「陸軍○○大佐」や「海軍大佐」と呼称し、陸軍各部に属する高等武官や兵科以外の海軍高等武官には「大佐」の呼称は用いなかったが、後に階級呼称の統一を図り、「大佐」の語を含めるようになった。

「大佐」の読み方であるが、昭和期の日本海軍では「だいさ」と呼ぶ者も出てきたが、海軍省監修書籍には「だいさ」読みの表記が出てくることはない。NHKメディア研究部によれば、正式の読み方ではなく昭和期の旧海軍での習慣的呼称でしかないとされる[1]

自衛隊 編集

警察予備隊の警察官(1950年-1952年)では一等警察正(いっとうけいさつせい)、保安官(1952年~1954年)では一等保安正(いっとうほあんせい)、海上警備官(1952年)では一等海上警備正(いっとうかいじょうけいびせい)、警備官(1952年~1954年)では一等警備正(いっとうけいびせい)がそれぞれ相当する。

自衛隊では1等陸佐(いっとうりくさ)・1等海佐(いっとうかいさ)・1等空佐(いっとうくうさ)(略称は1佐(いっさ)と、等級が算用数字になる)に当たる。

一般に連隊長・群長に補職され、陸海空共通の役職としては自衛隊地方協力本部[注釈 18]防衛駐在官のほとんど[注釈 19]が1佐である。警察では警視長または警視正に相当し、防衛省の文官も含む中央官庁では本省課長または本省室長に相当する。

なお、1佐はさらに職責に応じて(一)~(三)に分類される。以下は陸上自衛隊における区分。


陸上幕僚監部陸上総隊方面隊師団旅団


防衛大臣直轄部隊・機関

  • (一)は教育訓練研究本部の課長(総合企画部の総合企画課長)、補給統制本部の部長(装備計画部長・火器車両部長・需品部長)、富士学校の総務部長、防衛大臣直轄部隊長(中央輸送隊長・会計監査隊長)、幹部候補生学校職種学校(高射学校航空学校施設学校通信学校衛生学校)の副校長兼企画室長、防衛大臣直轄部隊の副隊長(警務隊副隊長)等。
  • (二)は教育訓練研究本部の企画官(総合企画部の総合企画課総合企画官、研究部の分析企画官)・主任(研究部の総括主任研究官・主任研究開発官、訓練評価部の主任訓練評価官、教育部の主任教官)・室長(教育部・研究部・訓練評価部の総括室長)・訓練評価部の訓練評価支援隊長、補給統制本部の部長(総務部長・調達会計部長・情報処理部長・誘導武器部長・弾薬部長・化学部長・航空部長・通信電子部長・施設部長・衛生部長)、富士学校の管理部長、富士学校隷下部隊長(部隊訓練評価隊長)、富士学校富士教導団の副団長及び隷下部隊長(普通科教導連隊長・機甲教導連隊長)・防衛大臣直轄部隊の副隊長(中央会計隊副隊長・中央業務支援隊副隊長・会計監査隊副隊長)及び隷下部隊長(警務隊の中央警務隊長・方面警務隊長、情報保全隊の地方情報保全隊長)、高等工科学校・職種学校(情報学校武器学校需品学校輸送学校小平学校化学学校)の副校長兼企画室長、幹部候補生学校・高等工科学校・職種学校の総務部長・教育部長、幹部候補生学校の学生隊長、高等工科学校の生徒隊長、航空学校の霞ヶ浦分校長・宇都宮分校長等。
  • (三)は教育訓練研究本部の課長(総合企画部の総務課長・管理課長・会計課長)・企画官(研究部の分析企画官)・主任(研究部の総括主任研究官)・研究員(研究部)、防衛大臣直轄部隊長(中央管制気象隊長)、教育訓練訓練本部開発実験団の科長(総務科長・計画科長・評価科長)及び隷下部隊長(装備実験隊長・飛行実験隊長・部隊医学実験隊長)・富士学校富士教導団の隷下部隊長(特科教導隊長)、防衛大臣直轄部隊の副隊長(中央輸送隊副隊長)及び隷下部隊長(会計監査隊の方面分遣隊長)、富士学校隷下部隊の副隊長(部隊訓練評価隊副隊長)、1佐(三)に昇任予定の2佐が就く場合もある補職(富士学校富士教導団の団本部高級幕僚)等。


なお、陸上自衛隊においては指定階級が1佐(一)の役職のうち特定の役職にあるものを対外的にも准将相当[注釈 26]として扱い、乗車する車両前面に赤色の台座に金色帽章一つが表示された車両標識を掲示する[注釈 27]。2018年より、連隊長等経験者を対象として予備1等陸佐の採用が開始されている。

各国の呼称 編集

空軍という現代発祥の軍種においては、それぞれの国家において「陸軍の航空部隊から発展」「海軍の航空部隊から発展」「そもそも航空戦力としての発祥」という成り立ちの違いにより、英文呼称・NATO階級コードにおける違いが生じる。

アジア 編集

漢字文化圏内、日本の「大佐」以外、「上校」[3]、「上佐」、「大領」の3つのバリエーションがある。

「上校」系 編集

中華人民共和国
中華民国

「上佐」系 編集

朝鮮民主主義人民共和国
ベトナム社会主義共和国

「大領」系 編集

大韓民国

ヨーロッパ 編集

欧州諸国では、海軍大佐は陸軍大佐と全く異なる呼称を使う。空軍大佐は、陸軍大佐と異なる呼称を使う国もあるが、陸軍大佐と同一の呼称を用いる例が多い。

「Colonel」系 編集

イギリス
フランス
イタリア
スペイン
ポルトガル
オランダ
ベルギー
ルーマニア
エストニア

「Oberst」系 編集

ドイツ
オーストリア
デンマーク
ノルウェー
スウェーデン
フィンランド

「Polkovnik」系 編集

ロシア連邦
ウクライナ
ブルガリア
マケドニア共和国
セルビア
ボスニア・ヘルツェゴビナ
クロアチア
スロベニア
チェコ
スロバキア
ポーランド
リトアニア
ラトビア

その他 編集

先の「Colonel」「Oberst」「Polkovnik」のどれにも属さない系列。

ハンガリー
ギリシャ

中東・カフカース・中央アジア 編集

トルコ
グルジア
アゼルバイジャン
シリア
イスラエル
サウジアラビア
イラン

オセアニア 編集

オセアニアのうち、オーストラリアとニュージーランドはイギリス国王を国家元首に頂く英連邦王国であり、国の成り立ちからもイギリスとの関係が深く、軍の階級呼称もイギリス軍と同様の方式が採られている。

オーストラリア
ニュージーランド

南北アメリカ 編集

基本的には欧州諸国と同様のシステムであるが、アメリカ大陸諸国の旧宗主国(イギリス、フランス、スペイン、ポルトガル)と同様に、上記の「Colonel」系列の階級呼称を採用している。

アメリカ合衆国
カナダ
メキシコ
キューバ
コロンビア
ベネズエラ
ブラジル
アルゼンチン
チリ

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ a b 明治5年1月に海軍省が定めた外国と国内の海軍武官の呼称によるとシニヲル・ケプテインを大佐に対応させている[2]
  2. ^ 漫画「エロイカより愛をこめて」で、伯爵がエーベルバッハ少佐を“艦長”の意味を込めて「キャプテン」と呼んだのに、少佐は陸軍の軍人だったため“大尉”で嫌がらせだと勘違いするシーンがある。
  3. ^ 法令全書では布達ではなく「沙汰」としている[14] [15]。また、第604号はいわゆる法令番号ではなく法令全書の編纂者が整理番号として付与した番号[16]
  4. ^ 兵部省は弁官宛に海陸軍大佐以下の官位相当表を上申していたが決定に日数がかかっており、明治3年7月28日に官位相当表の決定を催促をしている[17]
  5. ^ 1870年6月1日(明治3年5月3日)には、横須賀・長崎・横浜製鉄場総管細大事務委任を命ぜられた民部権大丞の山尾庸三に対して、思し召しにより海軍はイギリス式によって興すように指示している[18]
  6. ^ a b 1870年10月26日(明治3年10月2日)に海軍はイギリス[注釈 5]、陸軍はフランス式を斟酌して常備兵を編制する方針が示されている[19]
  7. ^ 大佐は中国の古典語には存在せず清末以前の文献からも見つけられないため、日本語による造語である可能性が高いと推測される[20]。 荒木肇は、律令制の官職名が有名無実となっていたことを踏まえて、名と実を一致させる。軍人は中央政府に直属させる。などの意味合いから衛門府・兵衛府から佐官の官名を採用したのではないかと推測している[21]
  8. ^ 陸軍では服役年の始期は明治4年8月を以って始期とするため、その以前より勤仕の者であったとしても総て同月を始期とした[22]。 海軍では服役年の始期について、准士官以上は明治4年8月以前は服役年に算入しない[23]
  9. ^ 明治4年9月28日に海兵及び水火夫を艦船から下ろした者は水兵本部の管轄となる[28]。その後、水夫は水兵本部の管轄から外れる[29]
  10. ^ 初めて任官するときにあってはすべて本官相当の2等下に叙位することになっていたため、正五位相当の大佐は2等下の正六位を叙位した[31]
  11. ^ 明治4年8月5日に兵学権頭の中牟田武臣を海軍大佐兼兵学権頭に任じた[26]。 同年9月7日に海軍中佐の中島佐衡を海軍大佐に昇任した[27]。 また、同年10月に太政官の達を請けて海軍中佐の赤塚真成を海軍大佐に昇任した。そのときの達では先ず太政官が海軍中佐赤塚真成を海軍大佐に任じ、兵部省が海軍大佐赤塚真成に水兵本部分課を命ずる辞令を個別に出しており[注釈 9]、海軍大佐の階級と水兵本部分課の職務とをそれぞれ区別している[30]。 明治4年11月2日に正六位[注釈 10]曾我祐準を陸軍大佐に任じた[32]。 明治4年12月調べの職員録によれば海軍大佐として中島佐衡、兵部少丞の佐藤勝敏、赤塚真成が掲載されており、陸軍大佐として兵部少丞の谷干城、兵部少丞の三浦一貫、兵部少丞の野津鎮雄篠原国幹谷重喜、曾我祐準、三好重臣が掲載されている[33]
  12. ^ これまでの順席では海軍を上、陸軍を下にしていたが、明治5年1月20日の官等表から陸軍を上、海軍を下に変更した[35]
  13. ^ a b 明治3年に練兵天覧のため諸藩の兵を合併して連隊を編制する事になり[42]、同年3月25日は高橋熊太郎、布施保に連隊司令を命じている[43]。また、明治3年10月には兵部省で歩兵連隊を編制している[44]
  14. ^ 大佐心得はその本官の職を取る。本官とは、大中佐は連隊長の職を取る[41] [注釈 13]
  15. ^ 前項の大佐心得に等しいもの[41]
  16. ^ 准席はすべてその官相当の職を取っていたもの。即ち大佐は連隊長[41] [注釈 13]
  17. ^ 1873年(明治6年)5月以前に用いられた各種名義の軍人について、当時の官制に於いて規定した明文がないものの、例えば心得、准官のような名義の者であっても当時は戦時に際して上司の命令を以て実際に軍隊・官衙等に奉職しその任務を奉じたことから、明治25年5月に陸軍大臣の請議による閣議に於いてこれらを軍人と認定しており[39] [40]、これらのうち大佐に相当するものには明治3・4・5年の頃の大佐心得[注釈 14]、明治2・3・4年の頃の准大佐並び職務[注釈 15]、明治2・3・4年の頃の大佐准席[注釈 16]などがある[45] [41] [40]
  18. ^ 政令指定都市札幌宮城愛知兵庫福岡等)は1佐(一)・中核市一般市は1佐(二)の区分。東京大阪沖縄陸将補(二)の区分となる。
  19. ^ アメリカ駐在のうち1名が将補で、他に少数の2佐がいる。
  20. ^ 北部方面航空隊長・東部方面航空隊長は1佐(一)、東北方面航空隊長・中部方面航空隊長・西部方面航空隊長は1佐(二)の区分。
  21. ^ 北海道補給処副処長・東北補給処副処長・関西補給処副処長・九州補給処副処長は1佐(一)、関東補給処副処長は将補(二)の区分となる。
  22. ^ 原則師団隷下から混成団隷下になった普通科連隊。
  23. ^ 平時は第14旅団に隷属、旅団の特科隊に準じた隊編成(丙)で編成されている。
  24. ^ ただし、関東補給処の古河・松戸・用賀支処長等、指定階級が1佐(一)職もありこの限りではない。また師団司令部・旅団司令部等所在駐屯地以外の駐屯地における業務隊長で1等陸佐の隊長が存在するが、通常は俸給表により1佐(三)の者が指定される
  25. ^ 通常の大隊長・補給処支処長・駐屯地業務隊長の指定階級は2佐。
  26. ^ 1佐(一)の職の一部が諸外国では准将相当とされる慣例に基づく。
  27. ^ 将補職の部隊長等に1佐(一)の階級で着任した場合・副旅団長や師団幕僚長等に着任し当該の者が使用を容認した場合等・1佐職の団長等で必要に応じて使用する「待遇の一環」であり、将補への昇任により当該階級でなくなった時点で赤色の台座に銀色の桜章二つが表示された通常の将補の車両標識となる。また、当該部隊長の職を下番して他の部隊長に着任した場合は白色の台座に戻る場合もある。ちなみに栄誉礼受礼者には該当しないため栄誉礼は行われることはなく、また通常の1佐職(連隊長・群長等)は白色台座の帽章1個が提示される。
  28. ^ a b c d 直訳は「戦列艦の艦長」。
  29. ^ a b 階級呼称はドイツ連邦軍国家人民軍ドイツ国防軍で共通。
  30. ^ ドイツ連邦軍独自の組織。
  31. ^ 大佐までは、一般親衛隊武装親衛隊の階級呼称は同一。
  32. ^ 陸軍空軍空挺軍海軍歩兵戦略ロケット軍のほか、国内軍(内務省軍)国境軍の地上・航空部隊、非常事態省などの準軍事組織、旧KGBの流れをくむ連邦保安庁対外情報庁連邦警護庁で使用。
  33. ^ 海軍(海軍歩兵やその他地上支援部隊を除く)と、国境軍の沿岸警備隊ロシア語版英語版のみが使用。
  34. ^ a b c 直訳は「一等艦長」。
  35. ^ 空軍は存在せず、陸軍傘下の航空団が存在。
  36. ^ Pukovnikは中佐に相当。准将はBrigadni generalと呼称。
  37. ^ Pukovnik中佐に相当。准将Brigadni generalと呼称。
  38. ^ 1968年のカナダ統合軍発足以前は、空軍大佐はイギリス空軍と同様にGroup captainと呼称されていた。

出典 編集

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  33. ^ 「職員録・明治四年十二月・諸官省官員録(袖珍)改」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A09054276600、職員録・明治四年十二月・諸官省官員録(袖珍)改(国立公文書館)(第73画像目から第74画像目まで、第78画像目)
  34. ^ 内閣官報局 編「明治5年正月20日太政官第16号官等表」『法令全書』 明治5年、内閣官報局、東京、1912年、45−47頁。NDLJP:787952/78 
  35. ^ 「官等改正」国立公文書館、請求番号:太00236100、件名番号:002、太政類典・第二編・明治四年~明治十年・第十四巻・官制一・文官職制一(第2画像目)
  36. ^ 内閣官報局 編「太政官第62号 兵部省ヲ廃シ陸海軍両省ヲ置ク(2月28日)(布)」『法令全書』 明治5年、内閣官報局、東京、1912年、71頁。NDLJP:787952/91 
  37. ^ 内閣官報局 編「第154号陸海軍武官官等表改定(5月8日)(布)」『法令全書』 明治6年、内閣官報局、東京、1912年、200−201頁。NDLJP:787953/175 
  38. ^ 「陸海軍武官官等表改正・二条」国立公文書館、請求番号:太00424100、件名番号:004、太政類典・第二編・明治四年~明治十年・第二百二巻・兵制一・武官職制一(第1画像目から第2画像目まで)
  39. ^ JACAR:A15112559500 (第1画像目から第2画像目まで)
  40. ^ a b JACAR:A15112559500 (第10画像目)
  41. ^ a b c d JACAR:A15112559500 (第7画像目から第10画像目まで)
  42. ^ 「諸兵合併連隊操練天覧可被為在に付隊員兵員取調可申出高松藩以下順達」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C10070806800、明治3年 駒場野連隊大練記(防衛省防衛研究所)
  43. ^ 「高橋熊太郎、布施保練兵天覧に付連隊司令申付候事外」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C10070806900、明治3年 駒場野連隊大練記(防衛省防衛研究所)
  44. ^ 「大坂兵部省出張所ニテ歩兵第一聯隊第一大隊ヲ編制ス」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15070860200、太政類典・第一編・慶応三年~明治四年・第百八巻・兵制・徴兵(国立公文書館)
  45. ^ JACAR:A15112559500 (第3画像目から第5画像目まで)

参考文献 編集

  • 仇子揚『近代日中軍事用語の変容と交流の研究』(pdf)2019年9月20日。doi:10.32286/00019167hdl:10112/00019167https://kansai-u.repo.nii.ac.jp/record/15107/files/KU-0010-20190920-03.pdf2023年11月12日閲覧 
  • 阪口修平:編「近代ヨーロッパの探求12 軍隊」ミネルヴァ書房、2009年。
  • 「陸軍恩給令ヲ改正シ及ヒ海軍恩給令ヲ定ム・四条」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15110505000、公文類聚・第七編・明治十六年・第二十一巻・兵制七・賞恤賜典・雑載(国立公文書館)
  • 「明治ノ初年各種ノ名義ヲ以テ軍隊官衙等ニ奉職セシ者軍人トシテ恩給年ニ算入方」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15112559500、公文類聚・第十六編・明治二十五年・第四十二巻・賞恤・褒賞・恩給・賑恤(国立公文書館)

関連項目 編集