劉 通(りゅう つう、? - 1466年5月)は、中国明代の人物。

劉通
初皇帝
王朝
在位期間 1465年 - 1466年
姓・諱 劉通
生年 不詳
没年 1466年
年号 徳勝 : 1465年 - 1466年

略歴

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西京河南府西華県(現・河南省周口市西華県)の人。非常に重い獅子(千と伝わる)を持ち上げたという伝説があり、劉千斤とも呼ばれた。

明の中期に大量に発生した荊襄の流民の首領となり、瞬く間に房県を拠点にした。

1465年に第一次荊襄の乱を引き起こし、農民蜂起政権である漢を樹立し、漢王を自称した。また年号私年号)を徳勝と定めた。

勢力を拡げようと襄陽鄧州を攻めたが、明軍に大敗した。さらに兵部尚書の白圭によって鎮圧され、四川省全体を攻められた。その中にあって1466年5月、劉通は戦死し、石和尚が四川を攻めたが失敗に終わった。

出典

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