加納嘉徳
日本の囲碁棋士
加納 嘉徳(かのう よしのり、1928年4月14日 - 1999年5月21日)は、日本の囲碁棋士。京都府出身、日本棋院所属、鈴木秀子五段門下、九段。日大国文科卒。本因坊戦リーグ4期など。大平修三、加田克司とともに、戦後新三羽烏と呼ばれた。日本棋院副理事長、幹事を歴任。
経歴
編集9歳の時に上京して、鈴木秀子に入門。1943年(昭和18年)入段。1948年(昭和23年)青年棋士選手権戦優勝[1]。1952年(昭和27年)五段。1958年(昭和33年)本因坊戦リーグ入り(以後1964年(昭和39年)、1969年(昭和44年)、1970年(昭和45年)にリーグ入り)。1961年(昭和36年)第5期首相杯争奪戦優勝。1964年(昭和39年)八段。1968年(昭和43年)九段。1969年(昭和44年)第25期本因坊戦リーグでは、高川格、藤沢秀行らを破り、5勝2敗の同率2位となる。1975年(昭和50年)、榊原章二とともにオーストリア、ソ連へ囲碁指導。全国高校囲碁選手権大会の創設、発展に尽力し、1979年(昭和54年)には高校訪中団団長を務めた。
- 大手合 第一部優勝 1955、64年、第二部優勝 1952年
著書
編集脚注
編集- ^ 加納嘉徳『出身県別 現代人物事典 西日本版』p372 サン・データ・システム 1980年