加藤 順盛(かとう よりもり、のぶもり)は、戦国時代から安土桃山時代武将織田氏の家臣。

 
加藤 順盛
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 永正11年(1514年
死没 天正16年(1588年
別名 図書助、順光
主君 織田信長
氏族 加藤氏
父母 加藤順光または加藤景繁
加藤順政加藤弥三郎ら12人
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経歴 編集

加藤氏は代々図書助と名乗っている。熱田羽城(現在の名古屋市熱田区)を拠城としていた順盛は、徳川家康(竹千代)が今川氏へ送られる途中に捕らえられ、織田氏へ送られた際、熱田羽城に幽閉された[1]桶狭間の戦いでは熱田で信長を迎え入れ、戦勝祈願に立ち会う。息子の加藤弥三郎は桶狭間の戦いにも従軍している[2]

脚注 編集

  1. ^ 谷口克広『天下人の父親・織田信秀 信長は何を学び、受け継いだのか』〈祥伝社新書〉2017年。 [要ページ番号]
  2. ^ 太田牛一 『信長公記』 巻首 「今川義元討死の事」