北庵法印

戦国時代から江戸時代初期にかけての医者

北庵 法印(ほくあん ほういん、生没年不詳)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての医者。島左近の岳父。

略歴

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中坊治部と同一人物とされ興福寺の寺医者をつとめた。多聞院英俊と親交があり、『多聞院日記』にも頻繁に登場する。

天正年間には英俊の病を治療したことが称され法印に昇進した [1]

娘の茶々は島左近に嫁いだ。文禄・慶長の役の際、法印は左近が無事に帰国することを春日社に立願している [2]

参考文献

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  • 『奈良県史第11巻』(名著出版、1993年、450p)
  • 中村昭「多聞院英俊の病跡―梅毒を中心として―」(『日本医史学雑誌』33巻4号、1987年、487p)

脚注

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外部リンク

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