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北条時広

鎌倉時代中期の武士

北条 時広(ほうじょう ときひろ)は鎌倉時代中期の北条氏の一門。父は北条時房の次男・北条時村

 
北条時広
時代 鎌倉時代中期
生誕 貞応元年(1222年
死没 建治元年6月25日1275年7月19日
改名 義王丸、時広
別名 相模七郎
官位 式部少丞、従五位下、武蔵守、越前守、
従五位上
幕府 鎌倉幕府 評定衆、四番引付頭人
主君 藤原頼嗣宗尊親王惟康親王
氏族 北条氏(時房次男・時村流)
父母 父:北条時村、母:未詳
養父:北条時房 (実の祖父)
兄弟 時隆時広忠源
北条資時の娘
娘(北条宣時妻)、娘(渋川義春妻)
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父時村は承久2年(1220年)に弟(時広の叔父)の資時と共に出家し、嘉禄元年(1225年)12月に没した。時広は祖父時房の養子となり、引付衆評定衆、四番引付頭人の要職を務めた。建治元年(1275年6月25日、54歳で没。

男子はなく、時村流は時広の甥で兄時隆の子宗房が継いでいる。

和歌が得意で将軍の歌席寄人や歌仙結番に選ばれている。北条家一門随一の風流文化人でもあった。

経歴編集

  • 1245年9月 式部少丞就任。
  • 1247年1月 従五位下就任。
  • 1247年3月 武蔵守就任。
  • 1258年1月 越前守就任。
  • 1260年4月 越前守辞任。
  • 1261年11月 将軍歌仙結番就任。
  • 1265年4月 従五位上就任。
  • 1265年6月 評定衆就任。
  • 1268年4月 四番引付頭人就任。

登場作品編集