十都市同盟Zehnstädtebund, Décapole)は、1354年から1679年ナイメーヘンの和約)まで、神聖ローマ帝国支配下のアルザス地方に存在した都市同盟のひとつ。

1354年、神聖ローマ皇帝カール4世が条約を批准して創設された。加盟都市はハーゲナウ(アグノー)、コルマール、ヴァイセンブルク(ヴィサンブール)、テュルクハイム(テュルクアイム)、オーバーエーンハイム(オベルネー)、カイザースベルク(ケゼルスベール)、ロスハイム(ロサイム)、ミュンスター(マンステール)、シュレットシュタット(セレスタ)、ミュールハウゼン(ミュルーズ)。1357年に帝国直属領(Reichsunmittelbarkeit)となったゼルツ(セルツ (フランス))も加盟したが、1414年に脱退した。

1378年にカール4世が死ぬと一旦解消されたが、翌年に再度創設された。十都市は1500年に上ライン帝国管区(de)に参加した。この管区は1521年にプファルツの都市ランダウに取って代わられた。1515年、ミュルーズがスイス盟約者団へ加入するに伴い離脱した。ミュルーズはタンなどを拠点とする帝国領に完全包囲され、十都市同盟から地理的に孤立していた。

同盟は地域を荒廃させた三十年戦争に強く動揺し、1648年のヴェストファーレン条約ルイ14世が都市の宗主権を獲得することとなった。ナイメーヘンの和約は最終的に同盟を消滅させ、フランスがアルザスを併合した。ミュルーズは独立都市として存続し、スイス連邦の飛び地は1798年に住民投票でフランス第一共和政への合併を選択した。ランダウはプファルツとともにウィーン会議バイエルン王国に併合された。