千屋熊太郎

江戸時代の土佐藩の医学者

千屋 熊太郎(ちや くまたろう、1844年〈天保15年〉 - 1864年〈元治元年〉)は、江戸時代土佐藩医学者尊皇攘夷運動家。高知県の人物。

概要 編集

菅原道真の後裔として土佐国に生まれる。千屋金策は成績優秀な兄で、寅之助は相当な学力に嫉妬するほどだった。寅之助は千屋菊次郎と千屋富之助と菅野覚兵衛(千屋寅之助)の従兄弟にあたる[1]大坂へ上り、緒方研堂に医学を学び、故郷に帰国してから開業を果たす。

土佐勤王党の党首武市瑞山の投獄を期に、武市の釈放を求めた清岡治之助清岡道之助を中心とした野根山の集まりに参加し、土佐藩に捕縛される。

1864年(元治元年)9月5日、奈半利川の岸にて斬首された。享年21歳。

脚注 編集

  1. ^ 佐藤寿良・著作『菅野覚兵衛-ある海援隊隊士の生涯-』

外部リンク 編集