南昌府(なんしょうふ)は、中国にかつて存在した府。明代から民国初年にかけて、現在の江西省南昌市一帯に設置された。
959年(顕徳6年)、南唐により洪州が南都とされ、南昌府に昇格した[1]。975年(開宝8年)、北宋により南昌府は洪州の称にもどされた。
1362年、朱元璋により竜興路が洪都府と改められた。1363年、洪都府は南昌府と改称された。明のとき、南昌府は江西省に属し、南昌・新建・豊城・進賢・奉新・靖安・武寧の7県と寧州を管轄した[2]。
清のとき、南昌府は江西省に属し、南昌・新建・豊城・進賢・奉新・靖安・武寧・義寧州の1州7県を管轄した[3]。
1913年、中華民国により南昌府は廃止された。