原田 虎三(はらだ とらぞう、1854年1月31日安政元年1月3日[1]) - 1898年明治31年)11月11日[1])は、明治時代の実業家。農林技官。

経歴 編集

駿河国駿東郡沼津城下(現沼津市)に生まれる[2]1871年(明治4年)沼津の海軍兵学寮に1期生として入校[2]1880年(明治13年)工部大学校機械科を卒業し、工部省助手となった後、工部大学校教授補、同校助教授を経て、1883年(明治16年)より農商務省にて船舶検査業務に従事する[1]。翌年、大阪商船に招かれ機関検査役に就任[1]。同社の鉄船採用を推進した[1]。また、イギリスグラスゴーに赴き三連成蒸気機関を購入し、帰朝後「大和川丸」、「宇治川丸」に日本で初めて三連成蒸気機関を備え付けた[1]

1894年(明治27年)病により職を辞したのち、1896年(明治29年)大阪に「船舶諸機械相談所」を設置し日本の技術コンサルタントの先駆となった[1]。ほか、日本初の工学系学術団体である工学会の初代会長を務めた[1]

脚注 編集

参考文献 編集

  • 生活安全ジャーナル編集事務局『生活安全ジャーナル (3)』製品評価技術基盤機構、2006年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/10402286 
  • 高橋裕、藤井肇男 共著『近代日本土木人物事典: 国土を築いた人々』鹿島出版会、2013年。ISBN 4306094294