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反マニエリスム

マニエリスムに対抗してできた美術の流派。一部の宗教画で見られる。

反マニエリスム(英語: Counter-Maniera, Counter-Mannerism)は美術史において16世紀イタリア絵画の研究者たちによって提唱された潮流で、およそ1530年から1590年にイタリアの芸術において一世を風靡したマニエリスムの一種、あるいはその一時期を指す。反マニエリスムは第二世代に当たる16世紀後半のマニエリスムの画家たちの作り出す不自然さに対抗するものであった。それは当時の芸術家たちが最後の総会である1563年トリエント公会議にて施行された「聖人の取次と崇敬、遺物、聖画像に関する教令」[3]の明確さと単純さのための曖昧な処方[注釈 2]に従うことが望まれたことを原因とするものであり、「正しい様式における命式さと内容の分かり易さ」("clarity in formal order and legibility in content")と共に、高度なマニエリスム方式からの歪曲と芸術性の排除、及び部分的な古典主義への回帰と盛期ルネサンス芸術のバランスを示すものであった[5]

この言葉は美術史家のシドニー・ジョセフ・フリードバーグ英語版(1914–1997)によって考案され、受容された。しかしそれは他の美術史家たちにも分け隔てなく受け入れられたわけではなかった。反マニエリスムは1971年に初版が出版されたフリードバーグの著作『イタリア絵画 1500-1600』(原題:Painting in Italy, 1500–1600)の中で定義された16世紀のイタリア絵画の4段階の内の一つであり、その後長期に渡って初期マニエリスム、盛期マニエリスム、反マニエリスム、後期マニエリスムと区分された一般的な教科書となった[6]。それぞれの様式は継承された訳ではないが、盛期マニエリスムが優位である16世紀の第3四半期に反マニエリスムの主な期間が重なるなど、ほとんどの期間に並行して存在していた。多くの場合反マニエリスムは芸術家たちの中期から後期の作風において発展したり、あるいは一部の作品、特に宗教的な依頼に見られ、他の同じ画家の作品では引き続き盛期マニエリスム様式を使っているなどが見られた[7]

フリードバーグと同年代のフェデリコ・ツェーリ英語版1957年に彼の造語である「アルテ・サクラ」(arte sacra、聖なる芸術の意)をバロック直前のローマ絵画において導入、あるいは復活させた。これはフリードバーグの反マニエリスムより期間、様式双方においてより広く扱うものであったが、大部分においては重複するものだった。 美術史家たちの様式による区分けを使うことに対する抵抗から、反マニエリスムの語が使われることは少なくなっている。2000年には美術史家の先駆者でフリードバーグの助言を受けたマルシア・ブラウン・ホールが彼女の論文「ラファエル以後:16世紀イタリア中心における絵画」(原題:After Raphael: Painting in Central Italy in the Sixteenth Century)を読んだ人物から「根本的な欠陥」としてこの語や他の語を使用したことについて、本の冒頭で「様式区分についての言及」にて謝罪を示し、用語の使用を最小限に留めるとしたにもかかわらず、批判された[8]

範囲と特徴編集

マニエリスムの定義そのものが複雑であることは悪名高く[9]、which to a considerable extent is defined negatively or reductively against itである反マニエリスムもその複雑さは同等である。イタリアの多くの地域、特にヴェネツィアと他の北部の都市は, were on the periphery of both the High Renaissance and the Mannerist reaction, and reached what might be called a Counter-Mannerist style merely by continuing to develop regional Renaissance styles, and accepting moderate doses of maniera influence.[10] The term is most often applied to painters in Florence and Rome who reacted against the prevailing style in these centres of full-blooded maniera, without a fundamental rejection of its underlying principles. In proposing the term Freedberg compares it with terms such as "counterpart" and "counterpoint", explaining that he intends "implying parallelism and relation between two terms at the same time as their opposition".[11]

特徴 of the maniera often retained in counter-maniera works, though in moderation, are an idealized and abstracted treatment of the content, absence of naturalism, an avoidance of the expression of emotion, and many of the formal characteristics noted by Friedländer, such as the arrangement of figures on the same plane at the front of the picture space, which they nearly fill. Elements of the maniera that are removed include the impulse to push to the extreme, the willingness to sacrifice everything for a graceful effect, playfulness and wit, and the readiness to let the details and ambience of a painting crowd out or submerge the supposed main figures, that must be hunted out by the learned viewer. The style restores a decorum suitable for religious works, and removes distractions from the central religious figures.[12] In its latest phase, from about 1585, the need for popular appeal appears to have been recognized by artists and commissioners in the church, leading to some relaxation of the austerity of earlier periods, and sometimes to sentimentality.[13]

The term counter-maniera is not usually applied to the more radical Bolognese reaction of the カラッチ家英語版 from the 1580s, although this represented a more effective rejection of Mannerist artificiality. For Freedberg this was "a new and un-Maniera attitude to art";[14] elsewhere he cautions against confusing Counter-Maniera with "anti-Maniera", apparently reflecting "Anti-Mannerism", the term used by ウォルター・フリートレンダー英語版 for the "palpable break in the stylistic development of Italian painting" that occurred "sometime around 1590".[15]この用語の使い方は北方マニエリスム英語版には影響を及ぼさなかった。

何が作品における反マニエリスム的特徴であるかを定義するかは簡単なものではない。ジョン・シャーマン(歴史家)英語版の著作である『マニエリスム』(1967年)の一つの節では、サンティ・ディ・ティートの《トマス・アクィナスの幻視》を取り上げている。フリードバーグはサントについては古典的な自然主義としてその類似性は認めつつも、様式の定義から外している[16]。シャーマンの反マニエリスムにおける他の主な例として、同じくフリードバーグが彼の定義で触れなかったフェデリコ・バロッチ英語版を挙げた[17]

影響編集

多くの画家たちはラファエロ・サンティアンドレア・デル・サルト、その他盛期ルネサンスの巨匠たちの画風を復活させようとしたり、盛期ルネサンスのヴェネツィアの巨匠たちからインスピレーションを受けようとした。例えば、ミケランジェロの晩年の作品は多くの芸術家にとって重要だった[18]。フィレンツェの伝記作者で批評家で、『絵画と彫刻の休息』(1584年出版)の著者であるラファエロ・ボルギーニ英語版は幾分潮流に入るのが遅かったが理論家として指名された[19]。しかし彼の功績はほとんど知られていない。反マニエリスムの芸術家たちは未だ比較的知られておらず[20]、またイタリア外ではほとんど見られない。これは彼らの功績の大部分が宗教的なものであり、製作を依頼した教会、あるいはイタリアの美術館に残っていることが原因となっている。作品のほとんどは18、19世紀における画商による蒐集の対象とならなかった。フリードバーグはこのことについて率直に「凡庸さはローマ式の反マニエリスムの様式に置いて必須で、一部の画家たちの完全に取り締まるにはあまりに重要で確実な直感を侵略している。」と述べている[21]

フリードバーグは様式を単純にトリエント教令の反映と扱うことについて警告している。これは教令がフランス語の草案に基づいた、1563年に行われた最後の総会の最後の数分間及びほんの少し加えられただけのものであり、その後に様式が出始めたからである。彼は教令について「成文化された気質の正式な認可は、ローマ文化の中でも異彩を放つものだった。」と述べている[22]

またフリードバーグ自身も他の著名な美術史家と同様に、あるいは今日の学者たちも、16世紀中期から17世紀初期のイタリア美術史をローマ・ボローニャ風以前に出版されたジョヴァンニ・ピエトロ・ベッローリ英語版の『現代画家・彫刻家・建築家伝英語版』の先入観を通して見ていることに注意する必要がある。それはフリードバーグが他のボローニャ風以前の反マニエリスムの再構成において芸術的評価を支持しない歴史家と対話する時間がほとんどなかった可能性を意味する[23]

反マニエリスムとされる画家編集

脚注編集

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注釈編集

  1. ^ サン・マルコフィレンツェ[1]; Shearmanの著書の様式について述べる箇所にて反マニエリスムの例として挙げられている[2]
  2. ^ トリエント公会議におけるプロテスタント改革と対抗宗教改革(英語版)によると、Statements are often made along the lines of "The decrees of the Council of Trent stipulated that art was to be direct and compelling in its narrative presentation, that it was to provide an accurate presentation of the biblical narrative or saint’s life, rather than adding incidental and imaginary moments, and that it was to encourage piety", [4]しかし現実には公会議の教令はここに記載されたものよりはるかに明瞭さに欠け、これらの論点はカトリックの意図に従ったと考えられる。

出典編集

  1. ^ Witcombe, Christopher L. C. E.. “FROM MANNERISM TO BAROQUE Friedlaender and Wittkower” (英語). ART and THEORY BAROQUE IN EUROPE. 2016年3月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年8月30日閲覧。
  2. ^ Shearman, 178.
  3. ^ 福田淑子「『無原罪の宿り』の視覚化 -図像と神学の関係と機能をめぐって-」『早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌』第3巻、早稲田大学総合人文科学研究センター、東京、2015年10月21日、 181頁、 ISSN 2187-8307NAID 1200057547382016年9月30日閲覧。
  4. ^ Paoletti, John T; Radke, Gary M (1997), Art in Renaissance Italy, Upper Saddle River, NJ: Prentice Hall, p. 514, ISBN 0810919788, OCLC 34669313 
  5. ^ Freedberg, p 429; 彼の言葉を最も長く説明している節は429–430頁に記載されている。
  6. ^ Smyth, p 17.フリードバーグはこの言葉をより初期の論文にて使用した。
  7. ^ Freedberg, pp. 429–430.
  8. ^ Murphy, Caroline P (2000-04). “Review of: After Raphael: Painting in Central Italy in the Sixteenth Century by Marcia B. Hall, The Catholic Historical Review (英語). The Catholic Historical Review. Bibliotheca artibus et historiae (Washington, DC: Catholic University of America Press) 86 (2): 324. JSTOR 25025732. https://www.questia.com/library/journal/1P3-56531266/after-raphael-painting-in-central-italy-in-the-sixteenth. 
  9. ^ Cropper及びSmythの議題であり、Shearmanの第一章でも触れられている。
  10. ^ Freedberg, p 563, and many passages on specific artists
  11. ^ Freedberg, 429より引用、及び個々の芸術家の方向性による。; Friedländer, pp. 50–51.
  12. ^ Freedberg, 429; Shearman, pp. 168–169, pp. 178–179; Friedländer, 6–10, and Part 1 generally
  13. ^ Freedberg, pp. 657–660.
  14. ^ Freedberg, 566; Shearman, pp. 178–179
  15. ^ Friedländer, Part II, p. 47 より引用; Freedberg 606;アントニオ・カンピの反マニエリスムについての情報はpp. 585–587を参照。スキピオーネ・パルゾーネはp. 658を参照。"non-Maniera"も使用されていた;
  16. ^ Shearman, 178; Freedberg, 624
  17. ^ Shearman, 178; Freedberg, pp. 632–640.
  18. ^ Freedberg, pp. 428–429
  19. ^ Ellis, Lloyd H (2008), Raffaello Borghini's Il Riposo, Lorenzo Da Ponte Italian Library, Toronto: University of Toronto Press, ISBN 9781442692299, http://books.google.co.uk/books?id=vni2P8iTRX8C&pg=PT84 , "Conclusion"; ボルギーニはフリードバーグによって言及されていない。
  20. ^ Friedländer, pp. 50–51.
  21. ^ ジロラモ・ムジアーノについての議論を参照。Freedberg, p 499.
  22. ^ 427頁より引用。Freedberg, pp. 427–428.
  23. ^ Bellori, Giovan Pietro (2005), Alice Sedgwick Wohl, Helmut Wohl and Tomaso Montanari, ed., The Lives of the Modern Painters, Sculptors and Architect: A New Translation and Critical Edition, New York: Cambridge University Press, ISBN 9780521139540, https://books.google.co.jp/books?id=Lm9gs8mXwOUC&redir_esc=y [要ページ番号].

参考文献編集